2010年05月08日

幻の日本一

予想より早く北海道のサクラは咲きだした。
本当は、今日8日が函館で、明日9日に札幌と江差という予定だったが、もう函館や札幌はもちろん帯広までで開花した。もう少し寒気が落ち込むタイミングが早ければ〜と気象屋的には思うが、先の予想で今週末に早々とまつりやイベントを設定したようなところとしては、予想より早く咲き出したのはよかったのであろう。

さて、前回から長い時間が空いたのだが、今回は幻の日本一を主に樺太方面からみていこうと思う。

昭和15年(1940年)4月6日 北海タイムス


豊原が日本一

面積から見た日本一の大都市はどこか?さらに近年全国の各都市が何れも都市計画その他の関係上附近町村を合併する傾向にあるが、過般高島町を合併した小樽市をはじめ函館、室蘭、釧路等の本道各都市が附近町村を合併した場合、一体その広さに於いて日本で何番目くらいの都市ができあがるか?

道庁統計課長、内館泰三氏が興味ある「膨れる都市」について面積比べを発表した。

まず面積から見て日本一の大都市はどこかといえば誰しも大東京と想像するところだが、外地を含めてみた場合大東京の550.85平方`に対して本邦最北端の新興都市は豊原市は674.07平方`とあり、意外にも日本一があまりにも間近にあることに驚く。

現在の所、各都市の広さを比較すれば

1位 674.07km2 豊原
2位 550.85  東京
3位 288.65  京都
4位 226.01  函館
の順で、五番大阪、六番名古屋、七番静岡、八番横浜、九番豊橋、十番福岡となっている。

しかし四月一日から高島町を併せ、さらに引き続き朝里村合併の機運を作っている小樽がこの大小樽市を実践した場合にはその総面積180.88km2となって五番に食い込むわけだが、もし室蘭が幌別全村を合併すれば289.59km2となって京都市を蹴飛ばし一躍三位に、また函館市が進んで隣接亀田、銭亀沢両村と併合すれば344.59km2となってさらに室蘭の上位を占め、釧路が鳥取・釧路両村と合併すれば362.36km2となってその上位に食い込むこととなる。

このほか面白いのは本道の首都札幌市の隣接町村合併問題で、札幌、藻岩、豊平、白石、琴似の五個町村を全部合併することとなれば実に1016.97km2という大都市を実現、一躍本邦第一の都市が出来上がるわけである。



取らぬ狸の皮算用みたいな話が繰り広げられているが、戦中日本のこの時代、日本一広い都市は樺太にあったわけである。

当然、終戦によって樺太での施政権は消滅したカタチとなり、豊原の日本一は今や幻である。

同様に樺太が持つ幻の日本一は気象界にも存在する。
日本の最低気温記録である。

これは島崎昭典編「樺太気象台沿革史」に収められている「樺太庁観測所落合支所時代の思い出」に記載されている。書いたのは元観測所職員の岩崎三夫さんである。その部分を引用すると・・・



敗戦になって樺太がソ連に帰属するまでは、日本の最低気温は落合で観測された−45.5度であったと覚えている。

当番の閑にこれがどんなふうに記録されているかを調べるため観測室の二階にある倉庫の中で当時の観測野帳を探し出した。

確かに最低気温の欄に54.5の数字があった。その前後の数字も同じように低かったので間違いないと思った。今でもそうかもしれないが、気温がマイナスの場合は100の余数で表すことになっていた。例えば−2.3度の場合は97.7ということである。



幻の日本最低気温記録−45.6度。落合(南樺太)で1908年(明治41年)1月19日に観測されたものである。

氏の記録している観測野帳の数字は、当日午前6時の気温である。中央気象台月報には、最低気温−45.6度と記載されている。天気は快晴、湿度計測できず、風向なしで風速0.1メートルとほぼ静穏の状態であった。
ちなみに翌日の最低気温も−42.3度、翌々日も−43度と3日連続−40度を下回る激寒ぶりであった。

旭川も朱鞠内もこの数字には敵わない。つまり、日本最低気温記録保持者としての旭川は戦後の繰上げによるものなのである。

あの大戦が避けられいたなら・・・

今の時代、日本はどのような姿だったのだろうか。

posted by 0engosaku0 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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