2014年11月24日

戦後70年:1945年1月5日弁当箱もオモチャも根こそぎ金属供出へ

1945年(昭和20年)1月5日の北海道新聞をよむ。

二面には「家庭金属 根こそぎ前線へ」という見出しの記事が目につく。


優秀機を大増産するため 今度のアルミ製品を中心とする金属の家庭回収は 苛烈な戦局を反映して たとへ代替品がなくとも根こそぎ供出して 本土侵攻の敵機に叩きつけようとの熱意を盛り上げているが 回収対象が従来の製品と違って日用必需品であるのと 短期間の快速回収が要請されている事情から 回収運動の末端における実施現場の面に幾多の課題が残されているにかんがみ 本社では道庁、翼賛会、日婦、公区各代表を招き より多く、早く、明るく回収を完遂するには如何にすべきかについて あらゆる角度から検討した



昭和16年8月に発布された国家総動員法にもとづく悪名高き「金属類回収令」である。
既に昭和13年には金属不足が表面化しており不要不急の金属類の回収を呼びかける声明が政府から発表されており、昭和14年にはマンホールや鉄の柵などの回収へと進んだ。そして昭和16年の太平洋戦争前から各家庭の金属製品もどんどん回収していく形となっていた。

戦局の悪化で昭和20年の初頭には供出すべき金属もほとんどなくなっていたと思われるが、それこそ「乾いたぞうきんを絞る」かの如く、生活必需品も含めた家庭の金属を「根こそぎ」回収することを徹底しよう、それにはどうしたらよいだろうか?というのがこの記事である。

「明るく回収」など、当然望むべくもないのだが・・・

では、その議論の内容をみていく。
出席者は以下の通り
・北海道庁 経済第二部長 黒河内 清氏
・北海道庁 金属回収課長 伊藤 諸俊氏
・翼賛会 道支部事務局長 阿部 平三郎氏
・札幌市白石連合公区 事務長 三浦 勝三氏
・日婦 札幌市支部副支部長 平瀬 エシ氏
・本社員 佐野道会部長外
※当時の活字がつぶれている部分があるため、名前や役職が一部不正確です


黒河内
従来の家庭回収は贅品不用品回収だったが 今度は鍋など日常必需品でも余裕ある家庭では最低限度にがまんしておき 他は極力供出して 飛行機の増産に役立ててもらおうという趣旨だが、この場合も強制回収などはせず あくまで忠誠心に訴えてゆきたい
物資不足の折 各家庭にはお気の毒だが 供出量が戦場の生死を支配し 戦局の鍵を握るといふことをよく理解されて 生活を再構成し 神様にお託しする気持ちで供出の熱意を示してほしい

本社
今日は軍隊が必要といふなら鍋でも蓋でも出そうといふ国民の気持ちは十分達成されていると思うが 代替品の事情は?

伊藤
・・・家庭の不自由はお察しするが その他の事情から代替品の見通しは政府でもちょっとついていないようだ
しかし家庭用品などで最低生活にどうしても必要な品まで根こそぎ供出するといふのではなく 最低必需品の保有は認めている
結婚記念のもの、あるいは由緒あるものをはじめ 子供が利用して不必要になったとか その他家庭の隅々、戸棚、机の中を子細にさがせば 忘れられていたものがまだ相当あるのではないか
回収といふとすぐ台所の鍋にこだわるが 金属製シャープペンシルの壊れたのやメダル、色付きオモチャ等の小さい物などに目を注ぐのも一方法と思ふ



出だしの議論だけみてみても、金属製品は鍋などの生活に必要なものでも「最低限度の保有」程度しか認めず、子供のおもちゃまでもが、今や回収対象となっていることがわかる。「不自由は承知の上」でのお願いである。それにしても、既にシャープペンシルはあったんですね。

続けて

本社
さきにアルミ製品だけは年内に完了すると発表されたが まだ全道的には本格的な活動は見られぬが

伊藤
準備期間の関係で農業用は大体予定通りだが、家庭回収の方は遅れている
一般金属といっしょに一月末官僚の方針で 一月八日を期し 全道一斉に大運動をする予定だ
・・・
一月八日といはず 出来るところはどしどし実施してほしい

本社
過去の回収で 代金支払いの保証、回収品の棚ざらし、横流れ等が折角の熱意を浪費させたが 今回は大丈夫か

伊藤
今次回収の性格からいって そんなことはあっては申訳ないことであり 回収即輸送、戦力化を期して準備に尽くしたしたのと 末端もなれてきたからそれらの点は絶対心配ない



なかなか本社の質問も手厳しい。
もちろんこの記事にも軍の検閲が入っているのだろうが、今回の回収の清潔さを証明するために、過去の汚点を責める質問をも認めたということか。


本社
公区の回収状況はどうか

三浦
旧臘二十七日 一斉回収を実施した結果は あまり芳しい成績ではなく 回収品の内容は約八割まで鍋、釜、弁当などの売品で骨董品はなく 主要の屑としては重量に二割乃至二割半の分量であった

不成績の原因は回収徹底の準備期間がなかったのと やはり使ひつけた品物に対する愛着心が 手放し難くしているやうだ
反面 立派な完全品を出した人もあり また若夫婦が出すといふのに姑さんが反対だといふので われわれが出かけて よく回収の重要性を説明して 漸く納得して貰った所もある

本社
家庭回収は婦人の熱意に訴たねばならぬが 日婦の運動方針や婦人の立場からの心構えを戴きたい

平澤
台所用品は余計なものはあまりないので 心ある家庭では前の回収で相当供出したため その後の代替品補充難と補修難で困っている
しかしあの回収の新聞記事で 飛行機生産に占める回収アルミ その他の軽金属の重要性を再播種し これは今までのやうな気持ちではいかぬ どんなに不自由を忍んでも供出しなければ と覚悟を新たにした

ただ最低必要限度をどこへ置くかが問題で 回収目標量が示されていないだけに運動の実施は難しい
そして指導層の方々が根こそぎ供出をし 皆の眼前で惜しい品物をも どしどし潰してみせることだ

また回収品は目の前におかず 即刻運搬すること、アルマイトとアルミを別に考えている向きも多いから同製品であること、回収アルミがボーキサイトより六割近くも飛行機生産に経済だといふ点等をよく徹底されたい


アルミ製品の回収では、鍋・釜・弁当箱あたりが供出されていることがわかる。
また、若い夫婦が供出しようとするのを姑が止める、といったくだりは、三世代同居があたりまえだったこの頃の家庭の姿が垣間見える。

日婦(大日本婦人会)の女性から出た、指導層の人が率先して根こそぎ金属を供出して、みんなの前で惜しみなくどんどん潰してみせろ、というのもまた、なかなか過激な意見であるが、そのまま掲載されている。
我々は当時の国内での言論統制は今の北朝鮮レベルかと想像してしまいうのだが、実際はそこまで統制されたものではなかったのかなと、この記事を見て思う。


本社
まだまだ家庭の精神生活面が必勝態勢に切り替えていない
最低生活という言葉なども生活をきりつめて不自由をしのぶことがわれらの日常の戦いであり それが決戦にたち向かう最高の生活でなければならぬのだから、ほんとうは「最低生活」でなく「再興の生活」といふべきだ
そうした精神指導面その他について翼賛会の考えを

阿部
精神は最高に、生活は最低にという論理的進めかたは知識層にぴったりくるが一般的にはやはり「最低生活」にするんだといふ呼びかけかたの方がピンとゆくようだ
今度の回収は代替品の補充が出来ないのと 多くの家庭 ことに下層へゆけばゆくほど 生活は平常からぎりぎりいっぱいの生活であり 下手をすると生活を酷くさせ 民意を委縮させるから この運動を通じて 飛行機増産を急増させると同時に、一層戦意の昂揚に効果あらしめるには余程上手に指導しなければならぬ

そこで皆に納得ゆくやうな回収原因の十分な説明が第一で 説明の資料を十分こしらえて遊説隊を全婦人班常会へ出動させ 理解と熱意の昂揚を図りたい
割当はしなくとも出来ればある程度の目度を示せば 決心の照準がつき よくなると思う
例えばアルミの弁当箱を一箱供出といふ風に目標があれば 末端が非常にやりよくなる
弁当は握り飯でも我慢できる

本社
水筒だって一斉供出できぬことはない 国破れてなんの弁当箱、水筒ぞだ
しかし骨董屋に二十円 三十円也の水筒が下っているなどはどうか 問題は代表品の無いのが悩みだかなんとか創意と工夫でやれぬか
本道で出来るかどうか知らぬが 水筒の代替に瓢箪?を家庭菜園でつくるとか その他こうした打算はないものか

伊藤
全道的には面倒でも地区的に代用品のつくものがある場合、市町村でやってもらうつもりだ
例えばアルミの弁当箱の変わりに木箱を補給するといったやうに

本社
代替品が都合つかぬならせめて補修体制を急速に整備してほしい

黒河内
目下準備中だが遅れて済まぬ
関係組合、その他を動員して「日用品活用協会」を整備進行中だから近く発足させたい
その間 応急措置として出来るだけ補修資材を各業者に流して補修する

水島
代替品が無くても修理が潤滑にゆけば大変助かる
要するに回収の重要性がわかれば もりもり出来ると思ふ
すでに前の回収で全部供出して つぎはぎだらけの鍋、釜でやっている家庭もずいぶんあるんだし、学童を通じてのこ普及も一策で 先生が率先して握り飯を食って見せ、お弁当箱とアルミの箸は献納というふうにゆけぬか

本社
地方の旅館なぞではまだ鉄の火鉢や鉄瓶、真鍮の洗面器等 相当目につく
先日ある鉱山のクラブの洗面器が紙勢で 市街地の旅館のが金属製だったので考えさせられた
また、中以上の家庭で火鉢、鉄瓶の類からまだまだ目につく

伊藤
愛着心の心境はわかるが敵機が連日本土を狙っている今日、人前にそういふ物を見せることが卑しいという倫理観を皆の努力で急速に確立したい

本社
アルミ、金属供出の場合 前のフトンのように十枚持っている者も一枚、二枚より無いものも一枚のような平等は絶対避けるべきで これが不平の最大原因だ
ある家庭、ない家庭がそれぞれ分に応じて公正に出す、皆が一緒に耐乏する供出態勢でゆけば 決して不平は出ない

水島
今までの例では中以下の家庭の方がよく協力するやうだ

阿部
公区の役員如何で成績が違ってくる、各家庭一点主義といった画一主義に陥らぬよう各役員はもちろん全部の熱意と努力で明るい回収を実現したいものだ
公区の役員が沢山出そうな家庭を訪問する、ところがこれよりないといはれるとそれ以上踏み込めないのがこれまでの実情であり 保有していることが恥辱だといふところまでもってゆきたい
愛国心、忍耐、心はみなもっていながら 生活の面ではまだ
これをかきたて燃えさかるように指導員が率先道つけをしてやる そうでないと逆に重税感を與へて不平となり
出るものも出なくなるから 親切に回収の意義を婦人や年寄りにまで浸透させれば きびしい生活を通じて より戦意の昂揚になると信ずる


なんだか、最後までこの議論を読み進めながら、現代の「消費税」の議論と似ている面があるなぁと感じた。
現物にしろ、お金にしろ、いかに庶民の不平が出ないようにするのか、皆で知恵を絞っている。
今は「将来の暮らしや社会保障、景気のために・・・」といった漠然たる幸福が税金などさまざまな負担増の目的であるが、当時のような「すべては戦争に勝つため」という目的のほうが、現実味があって協力はしやすかったかもしれない。いいか悪いかは完全に別としての話だが。

連載の「増産の春」は、妹背牛で正月返上で堆肥づくりに精をだす農家の話である。


増産の春

お雑煮がすんだら学校の拝賀式にゆくものはさっさと学校にゆけ、ほかのものは午前中だけ堆肥のきり返しだ、わしはな組合の共同作業に出てくる、宮崎さんのとこ 息子さんの応召で堆肥のきりかえしが遅れているでな、正月早々気の毒ぢゃが 一軒から一人ずつ出て援助するのや


雨竜郡妹背牛村・南六号の水田で囲まれた村上民次さん(47)の家庭
応召中の次男てい次さんをのぞき ずらり十三人親子水入らずの雑煮の席についた
村上さんの顔は神酒にほんおり明るい
村上さんは昨年の明治節、厚生大臣表彰の栄誉に輝く子供部隊の隊長さんだが 一歩おもてに出れば部落会長をして隣組を束ね、山一棟・・実行組合長として食糧増産の先頭をきり 村会議員としては村政の中堅に立つ

・・・

紋つきを脱ぎ、作業着にゴム長をはいて『組長さん』になった村上さんは正月日和の街道に出た
村上さんがふれて廻ると 家々からホークを肩にして宮崎さんの堆肥場に集まった

村役場からは元日だけ休んで二日からの正月休みを返上しろといって来たが 農家、ことに堆肥の増産に精を出す農家には返上する休みなんかない
眠っているときが盆と正月、眼があいているときは増産の戦いである
だから祝うお雑煮もそこそこに堆肥の共同作業に出かけたのである

第一線の兵隊さんにや正月もない、わしらも同じや、戦地の倅に負けられんわい

翻える日章旗のもと本国を護る将兵の激闘を思い、元旦の汗を流すのである


妹背牛はもともと泥炭地であり、米の増産にはよい堆肥づくりというのがどうしても必要であった。
これを妹背牛村第六区南の柿崎信次郎氏が早くから熱心に行い、「堆肥の柿崎」として農林大臣賞も受けたそうだ。この一人の頑張りが村中に広がり、この時代では妹背牛全村で堆肥の増産に取り組んでいた。
村上さんの大六区山二棟農事実行組合は、昭和19年度の北海道地方増進会で第一位の栄冠を獲得している。

この時代、堆肥づくりは「駄農と精農」をはっきり文句なしに区別するといわれたそうだ。

さて北海道新聞1面。社説は「敵の空襲と道樺民の覚悟」というタイトルである。
同じ紙面には1月3日、午前7時40分から14時30分にかけて沖縄、台湾を500機の米軍艦載機が攻撃してきたという大本営発表。さらに台湾からは1月4日も400機が来襲との報告である。

戦闘の中心はフィリピンから台湾・沖縄へと移りつつあった。B29を中心に爆撃機が本州の空にしばしば侵入、北海道や樺太も、いよいよ米軍の攻撃目標となる時期が近づいてくることを徐々に紙面でも訴え、備えを呼びかけている。
これもなんだか、大型台風の脅威に対する防災の呼びかけと似たようなものかもしれない。自然ではなく、人間。フィリピンが落ちた段階で、なんとかならなかったものか。。。

1面トップは「比島決戦・敵の侵攻激化」
まだ、北海道民はフィリピンの戦いが佳境にさしかかった程度と認識していただろうか。

大本営発表によれば、神風特別攻撃隊は、1月3日朝、ミンダナオ島に於いて敵輸送船団を攻撃し、大型輸送船二隻を轟沈、駆逐艦一隻を撃破とある。
輸送船に飛行機ごと突っ込んでいく・・・というのは、これもまたどうにかならなかったものか・・・。

その他、樺太庁の昭和20年度予算の決定などが掲載されている。
posted by 0engosaku0 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 1945年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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