北海道は雲の広がりやすい天気が続き、毎日のように雨も降っていた。

▲8月5日午後6時の天気図(『天気図』大正11年8月,中央気象台,1922-8 国立国会図書館デジタルコレクションより)
天気図をみると、太平洋高気圧が東から本州方面に張り出している。
沖縄方面には台風がみえるが、7月末から8月上旬にかけては、日本の南から南西諸島を通って中国へと進む台風が相次いでいた。
この台風などが運ぶ、暖かく湿った空気は、高気圧の縁辺をまわって北海道・樺太方面に流れ込んでいた模様で、北海道付近の天気はぐずつき気味だったのである。

▲煮え切らぬ空を嘆く記事(1922年:大正11年8月6日付 北海タイムスより)
毎日ちょっとずつ雨の降る中、札幌で行われていたのは「全道中等学校野球大会」である。
1920年(大正9年)に初の全道大会が開催されて、これが3回目。
この年は、舞台を札幌・北海道帝国大学のグラウンドに置き、8校が参加して開催された。
初日は8月1日。一回戦の試合が行われ、最初は北海中と小樽庁商のゲーム。
4回表に小樽庁商が3点を先制したのだが、そのウラ、北海が1点を返し、5回には庁商が4エラーを重ねる間に北海が4点を加えて勝ち越し、6-3のスコアで北海が勝った。
続いて函館商業と小樽中の対戦は、3回に函商が一塁三塁の場面で一塁走者が盗塁を試みたところ、捕手からのボールを二塁手が取り損ね、ボールが外野を転々とする隙に二者生還。一方の樽中は7回、二塁打の走者をバントで送ろうとしたのだが、ランナーがサインを見落としたため、挟まれてアウトになるなど、振るわず、8-2で函商が勝った。
札幌師範と札幌一中のゲームは3回までに札幌一中が5点を奪う展開。5回には、ヒットとエラーで札幌一中が一気に6点を挙げるなど攻勢を続け、結局18-3の7回コールドゲームで札幌一中が勝利。
最後に函館中と札幌二中の試合は、3回に札幌二中にエラーが相次ぎ、レフトのエラーのあと四球、そしてライトがエラーをし、さらに捕手がエラー、そこに三塁打を打たれる・・・といった惨状で、函館中が労せず5点を先制。結局、7回日没コールドゲーム 6-0で函中が勝った。

▲北海中と函館商業の対戦(1922年:大正11年8月4日付 北海タイムスより)
8月2日は雨のため試合が中止となり、3日に行われた準決勝。
第一試合は函中と札幌一中。
この試合は初回から点の取り合いとなり、函中がスクイズで1点先制すると、一中はエラーとタイムリーヒットで2点を入れて逆転。
4回ウラには2アウトになってから二人の走者を出し、三塁打で2者生還するなど3点を追加。5-1と一中がリードを広げる。
5回表に函中は長打を重ねて2点を返すが、その後は両者点が入らず、5-3で札幌一中が初の決勝進出を決め、前年度優勝校の函館中は姿を消した。
第二試合は北海中と函館商の対戦。
こちらは、二回に1点を先制した北海が三回にも1点を加えてリードするものの、四回に函商が暴投に乗じて2点を返し同点となるも、五回に北海が満塁のチャンスに三塁打が飛び出して3点を勝ち越し、結局6-3で北海が勝利し、2年ぶりの決勝へ駒を進めた。
決勝戦は、その日の午後3時10分から開始。
札幌はこの頃には晴れたため、観衆が集まり、外野の柵まで”すし詰め”の超満員の中、札幌一中と北海中が、ともにこの日2試合目のゲームに挑んだ。
<決勝>
札幌一 001 300 000 4
北 海 300 201 00X 6
初回、札幌一中は1死満塁のチャンスを得たが、三振とホームスチール失敗で無得点に終わり、北海中はエラーや四球で出塁した3人のランナーが、すべてパスボールで生還し、3点を挙げた。
札幌一中は3回、三塁打のあと、ライトフライの落球で三塁走者が生還して1点を返すと、4回には再び満塁と攻め、2点タイムリーヒットと勝ち越しタイムリーヒットが飛び出し、4-3と逆転した。
しかし北海中は4回ウラ、内野のエラー2つにヒットを絡めて2点を奪い、再逆転。
6回には2アウト1塁から右中間への長打が生まれ、1点を追加して点差を広げる。
7回、8回は札幌一中はランナーを出すものの点にはつなげることはできず、9回は三者凡退。
この結果、北海中が2年ぶり2回目の優勝を遂げた。

この当時は甲子園球場がまだできておらず、全国大会は兵庫県の鳴尾村(現在の西宮市)にある「鳴尾球場」で開催されたのであるが、この全道大会の講評記事では、全国で勝つには一層の努力が必要との激励の言葉が贈られた。
本道野球界の名誉の為 北中選手努力せよ
三日間に亘って北大で激戦した 全道中等学校野球試合は 昨年函館に開かれた第二回の時の参加校十一に対し 本年は庁商、樽中(小樽)、函中、函商(函館)、札師、二中、一中、北中(札幌)の八校 本道三大都チームの巴状戦だった
数に於て減じたが 質に於て精選されたと云へよう
戦前の呼び声は優勝候補として 函中、函商、北中、一勝可能のもの一中、樽中、庁商だったが 一中投手の出来栄えよく 打撃亦振ひ 到頭決勝戦迄漕ぎ付た
対北中優勝戦の時も 北中は多く敵に走者を出したに反し 一中は堂々打って得点した
一中投手高橋は 肩もよく アウトカーブも相当出るが 試合不足の結果か 走者とバントに対して欠陥があった
函中、函商は共に 守備、走塁 他校と比較して勝れて居たが 意気に於て一中、北中に劣った
是が大なる敗因だ
優勝した北中は 概して粒が揃って居る 其代り 傑出した選手も無い
参加各校共 総て ベースランニングは拙劣と云ふより外はない
それに頭脳の働きが殆ど見られぬ
球を受けたり投げたりする技術は 中央も地方も各中学とも差異は無いが ヘッドウォークに至っては大差がある
自分の打った球の行方を見乍ら走ったり スタートに決断が足らぬ為 狭殺されたり 選擇に生かしたり 其他 凡失の多い事は 要するに平素 対校試合さへ頻繁に行へば 雑作なく矯正される事だ
兎に角 優勝した北中も 八月十四日の大会期日迄にウンと猛練習をしなければ 鳴尾へ行っても一勝も或は覚束ないだろう
聞けば北中は 旧法政の名選手 砂澤君のコーチを受けて居るとか
短時日と雖も 全力を尽せば 効果は多い
我 北海道の名誉の為 北中選手の努力を望む
(1922年:大正11年8月5日付 北海タイムスより)
この記事は当然、北海中ナインの目にも留まったであろうが、一生懸命練習したのか、10日あまり後に開幕した第8回全国中等学校野球大会で、その成果をしっかりと出すとなる。

北海中は、北海道勢として全国大会で初めての勝利を挙げることに成功したのである。
対戦した名古屋商は、東海大会を接戦で勝ち上がってきたチームで、勢いがあった。
現に、1回表に名古屋商は3点を先制している。
しかし、北海中は、11安打に7四死球、相手の11エラーに助けられ、盗塁も10個成功と走りまわった。
1回ウラに4点を取って逆転に成功すると、4回には相手の無死満塁という絶命のピンチをゼロで切り抜け、5回に1点を追加。
さらに6回は1死満塁から野選と長打で4点を挙げ、8回にも2点を入れてダメを押した。
初めて全国の準々決勝・ベスト8に駒を進めた北海中ではあったが、松本商との試合では、わずかにヒット1本に抑えられ、守りは12失策と崩壊。10安打を許し、8-0で大敗したのであった。
さて、野球で青春を謳歌する中学生がいる一方、他の学生はこの年の夏をどのように過ごしていたのか。
夏休みを労働で暮す学生
暑中休暇を利用して 鉄道郵便局 或は各種会社に傭(やと)ひ入れられる感心な学生達を見受ける
之等の学生達は 山に海に 楽く暮すのに 朝は早くから規定の業務に従事している
其 健気な心持は何んなものであらうか
市内には 之等 学生の心持を多として 夏季休暇中 傭ひ入る處に 大学農場 植物園 鉄道局 郵便局 札幌ビール会社等 其々相応に人員を抱擁している
就中、季節柄ビール会社と郵便局とは 之等 学生達の手を年々相待っている様な有様である
記者は之等学生の仕事振を見るべく 札幌郵便局を訪ふと 長嶺郵便課長は快く 其現場に案内してくれた
彼等は只今の處 総数六名 内二名は一中で 他は北中と工業と師範である
彼等の或者は 目に餘る様な各府県別 或は市町村別に連なった箱の前に立って 集配人が取集めて来て消印をした郵便物を行先別に見る目も忙しく区分していた
課長は語る
「只今は彼の様に 大変遅々としていますが 彼れで此夏中には相當になります そして冬休みに復 此処へ来る頃にはすっかり人並な技術者として迎へられます」云々
又 ビール会社を訪ふて見ると 此処には 米澤高工を始め 北大予科生二名 一中 二中 北中 工業彼等の或者は空瓶洗ひに 或は空瓶運びに 半労働的な
仕事に営々として 立働していた
斯うして彼等は 此機会に於て実社会の真相と尊い労力の償とを知るのであるが 毎日八十何度と云ふ暑い盛りを 各々 其熟練した技術者の間に介在して立働いているのは健気と云はねばならない
(1922年:大正11年8月2日付 北海タイムスより)
この頃はまだ「アルバイト」という言葉はないようで、夏休みの労働という言い方をしている。
現代の学生と同じように、郵便局やビール工場などで、夏休み限定のアルバイトを行っていた。
100年前も今もあまり変わらない、若者の夏の過ごし方であった。
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