今の札幌工業高校であるが、1917年(大正6年)開校で、おそらく道内では最も古い工業高校。
1922年といえば開校から5年を過ぎ、学校のカラーも定まってくる時期。
この年の冬の初め、札工で行われたイベントに多くの市民が集まっていた。
山と積まれて忽如売尽す
札幌工業学校の生徒製作品即売会は 既報の如く 昨二十六日午前十時から開場して 売出たが
前日の招待日に空戻りした奥様やお嬢さんの連中は 今日こそ我一に買はんものと 八時 九時頃から同校差して 潮の如く犇々(ひしひし)と押寄せ 雲霞の如くに会場前に集まって待つ内
十時の時計がチーンと打つと 会場は開かれ 雪崩を打って入場すると 恰も戦場のやうに取り合い 奪ひ合で 十分と経たぬ間に山積みされた品物が すっかり跡形もなく売り盡くされ 買って喜ぶ者の裏には恨めしさうな目付きで 人の手に入った品物を眺めてる奥様連もあって 頗る盛況を極め
十一時半から別室で 新聞記者立会で抽籤をしたが 当選したのを読み上ると 今か今かと待って居た連中の顔に一喜一憂が浮かんで来るのを面白さうに眺めている一団もあった
午後は一時から即売し始めたが 是亦 午前に増して盛んな勢ひで 売盡され 二時から午後の抽籤も終りを告げ 各々 手に雪掻きや炭箱などを提げて 解散し 頗る盛況であった
(1922年:大正11年11月27日付 北海タイムスより)
札工の生徒が作る物品が「生徒製作品即売会」で市民に売られていたようであり、安いのか、モノがいいのか、或はその両方か、多くの札幌市民が集う一大イベントとなっていた様子が描かれている。
午前、午後とも一時間くらいで品物は全部出払い、購入者対象の抽選会で、また何かごほうびがもらえていたようだ。
現在も札工では、学校祭で物品販売を行ったりしているようだが、これは古き伝統の行事と言えるのかも。
さて、この即売会から10日ほど、師走の寒波に見舞われる中、札工に災いが降りかかる・・。
庁立札幌工業校の寄宿舎焼失す
風雪面を指す昨六日午前九時四十分頃 折柄第一教時の授業中であった 山鼻行啓通り 庁立札幌工業学校 寄宿舎二十三号室(機械三年 葛西正彦 同二年 水野東男、土建二年 浦西藤次郎、機械一年 味噌義勝)居室から火を失し 炊事場食堂の一部を残し 二階建の同寄宿舎 並びに 附属建物(建坪三百三十坪)を烏有に帰し 十一時鎮火した
之より先に 隣室 二十二号室に病気の爲 臥床中であった土木建築科二年生 坂野幸三郎が 異様の物音に不審を抱き 恰も 寄宿生全部は登校後であるので 二十三号室に至って見ると 押入内は黒煙濛々として 火は天井裏に燃え移っている有様に驚き 直ちに急を告げたので 全校大騒ぎとなり
松本舎監が数名の生徒と共に現場に駆けつけた時は火勢頗る猛烈を極め 手のつけようもなく 階上寄宿生が 各自居室に入らんとする頃は 一面紅蓮の炎に包まれて 危険の状態に陥っていたので 殆ど一物も運び出すことが出来ないものも多数あった程 火は急速に同建物を嘗め尽くしたのであるが
橋本校長は 急を聞いて直ちに御真影を山鼻小学校に奉遷し 職員生徒は協力して本校と連絡している各廊下を破壊し 殆ど狂気の如く 消火に努め 一方 急報に依って駆け付けた 薦田署長以下 札幌署員全員は 各公設 私設 各水防組合等の消防員を督して必死の努力を盡し 一中生 札師生 又 消防隊を組織して 現場に赴いたが 給水の不便なるに 風雪その度を加へて 一同の活動を鈍らせ 一時は本校舎も危険に瀕するの状態であったが 前記の如く 寄宿舎一部に止まり 鎮火せしむるを得た
今村警察部長は 纐纈保安課長を随へ 現場を視察し 泉対教育課長は又 出火に関し 種々聴取する處があったが 原因は多分 二十三号室の寄宿生が布団に爐火の飛び移っている事を知らずに その儘 押入に始末した結果らしく 損害は建物 其他を合し 約一万五千圓である
尚 寄宿生 百三十余名は 取敢ず 保証人 或は 知己方に落つかせ 追って指定下宿に収容する筈であると
(1922年:大正11年12月7日付 北海タイムスより)
札幌工業の寄宿舎の一室から火が出て、またたくまに、ほぼ全焼してしまったのである。
寄宿舎は校舎と廊下でつながっていたようであり、生徒をはじめ、消防や他校の生徒の応援も得ながら、「破壊消防」を実施した。
その結果、本校舎への延焼は喰い止めたものの、130人余りが暮らしていた寄宿舎は、教科書から暮らしの品、思い出の品に至るまで、ほとんど運び出すことができないまま、焼け落ちたのであった。

▲焼失した札工の寄宿舎(1922年:大正11年12月7日付 北海タイムスより)
さて、記事には「風雪面をさす」とある。
この日の札幌はかなり風雪が強かったようだ。データをみてみよう。

▲12月6日正午の天気図(『天気図』大正11年12月,中央気象台,1922-12 国立国会図書館デジタルコレクションより)
5日に北海道の南岸を発達しながら低気圧が北東に進み、6日には北海道付近は強い冬型の気圧配置に変わった。北海道は大荒れの天気となり、暴風警報も発表になった。
札幌は、5日10時から6日10時にかけて、38センチも積雪が増える大雪となった。
火事が発生した頃となる10時の観測では、北東の風2.1m/sで、天気はあられ交じりの雪である。9時前までは激しい降り方であったが、少し雪の降り方が弱まったところに、火の煙が立ったのであった。
なお、この日はなぜか火事が多く、釧路でも大楽毛で林野火災があり、三笠の空知炭坑・幾春別青葉鉱でも採炭場で火災が発生している。
さて、この火事により、札幌では株を下げた学生がいる。
クマの目
工業校寄宿舎火事の際 札幌第一中学校では 炊き出しをして罹災生徒に贈ったといふが 友情の美しい事は推賞に値する
是に反して 第二中の生徒が 毎朝 北一条西十丁目の狭い雪道に 長蛇の如く隊をなして通学するが 夫が右側を通るので 通行人と衝突し 且つ 生徒は断じて一歩も譲らぬので 小学児童や女学生は雪の中を漕いで避けるという始末
弱いものを扶くるといふ徳があったら 寧ろ二中生の方から道を譲るやうにして 通行人に迷惑をかけぬやうにしたらどうぢゃ
(1922年:大正11年12月8日付 北海タイムスより)
札幌一中は、札工の学生に炊き出しを送って友情を見せたのに、一方で札幌二中の生徒たちは、雪の歩道のマナーが悪い・・・・ということ。
ドカっと雪が降ったため、札幌二中の学生と反対方向に歩く市民には、”長蛇の行列”がうっとおしく感じたのだろう。
ただ、この冬の師走の札幌は、この後も度重なる大雪に見舞われ、冬至の頃には積雪が118センチにも達する記録的な状況になっていく。
路を譲ろうにも譲れない、そんな状況がこの先に待っていようとは・・・。
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