1月14日から20日にかけて10時の積雪がすべて「30.3センチ」なのである。
なお、23日と24日は「60.6センチ」になる。

▲1920年(大正9年)1月16日〜25日の網走の積雪観測値
これは当時の暮らしで日常的な長さの計測単位が「尺」であったことからひもとける。
1尺は30.3センチ。計測する道具が「雪尺」とはよくいったもので、網走の測候所員は積雪を”尺”で計測し、センチメートルに換算して原簿に記入していたのである。
このため、23日の積雪は「2尺」であり、24日も1.9尺までは減っていないからそのまま2尺となったのに過ぎない。厳密にミリメートル単位までは積雪を計測していないことがこのデータから伺えるものである。
網走の積雪が一尺増えたのは低気圧が原因である。

▲1920年1月22日正午の天気図(国立国会図書館デジタルコレクションより)
発達した低気圧が北海道の南岸を通過して、北寄りの風に乗ってオホーツク海側に雪雲が流れ込みやすい気圧配置である。
網走では21日夜から雪が降りっぱなしとなり、22日午前中は強く降り、また時折地吹雪にも見舞われた。
この影響で、この日網走に着く予定の最終列車は、陸別の小利別付近で4尺以上の吹きだまりに遭遇して立ち往生する始末。
列車は着かなかったものの、翌23日には網走の港に流氷が姿を見せ、24日には視界の海すべてが氷原に変わった。
また、1月27日付北海タイムスには、稚内でも1月25日の夕方から沖合に流氷がみえるようになったとの電報記事が掲載されており、この低気圧はオホーツク沿岸にとっては”流氷の運び屋”の働きをしたようである。
一方、この頃の暮らしの話題の中心はもっぱら「スペイン風邪再流行」である。
前年と違い、この年はウイルス対抗の新兵器「ワクチン接種」が北海道民に広がりを見せていたのであるが、大事件が発生する。
星野医師告発さる
札幌区南六条西三丁目一番地 医師 星野一郎(四二)は 詐欺 医師法施行規則違反として二十三日札幌警察署衛生係主任 新井警部補に告発せられ 二十八日 一件書類 区検事局へ送致せられたり
事件の内容は 本年一月四日より二十三日に至る 同区内山鼻町千二百九十三番地 牧畜業 林文次郎外 約一千七百余名に対し 東京市芝区三光町 北里伝染病研究所謹製に係るインフルエンザ菌予防注射液(ワクチン)を流行感冒の予防注射として注射したるが 同薬液に添付せる使用法に 年齢六十歳以下十五歳以上を除き 第一回には「〇.五」第二回には「一.〇」と注射の要項明記しあるにも拘らず 自宅家族一二名に対し、本月四日 僅かに「〇.一」ずつ注射を行い 試験なしたるに流感に感染せずと信じ 専門家として相当の研究を重ぬべき筈なるに何等学説上 且(かつ)実地上の経験をなさず 単に少量にても効果あるものと自信して 注射液の分量を減じ
前記年齢の注射希望者に対し 「〇.二」の注射液に食塩水を以て希薄となしたるものを効果あるものの如く予防液として多量の人に注射を行い 一回金三十銭ずつの料金を徴収せるは不正の利益を貪りたるものにて
尚且つ 注射を行ひたる人々の住所氏名年齢及び療法を処方箋に記載を怠りたりと云ふにあり
因みに現今 各地に於て流感予防注射を行ふに当り 用法分量を減じ 斯の如き行為の者には当局に於て仮借なくドシドシ処罰する方針なりと
(1920年:大正9年1月29日付 北海タイムスより)
予防注射液を文字通り「水増し」して接種し、儲けていた悪徳医者の告発である。
この北里謹製スペイン風邪用ワクチンは、1ビンにつき20〜40回接種可能な量のワクチンであるのだが、星野医院の星野院長は100回程度まで接種可能な量に薄めて注射していたのであった。
星野医師は札幌に開業して10年以上の長きにわたり医療行為を行い、患者からの信頼もあったといわれ、また、札幌は北海道の中でも最も技術の優秀な医師が集まっていると道民には思われていたことから、わざわざ札幌の病院にかかる患者も多かった。このため、札幌はおろか北海道医療界における大スキャンダルとなったのである。
ただ、このニュースにはこの後、2月3日付紙面に「まだ起訴はされていない」との記事があったのみで、一か月以上続報がなかった。
ほとぼりが醒めるのを待って「嫌疑不十分」としたのか、はたまた黒い理由があるのか、そこは定かではない・・。