この日の北海道は緩やかに高気圧に覆われた。

▲9月13日の天気図
札幌は無風・快晴というこれ以上ない秋晴れの空で、この日の朝を迎えた。
最低気温は8.5℃まで下がったが、日差しで気温はぐんぐん上昇。最高気温は26.8℃まで上がって、夏日を記録、汗ばむ陽気となった。
この申し分のない好天の下、北海道にゆかりのある人物が札幌を訪問した。
その人の名前はクラークという。
故クラーク博士の愛孫 憧れの札幌へ
Boys Be anbicious…!
秋風草路を拂ふ月寒原頭、馬を駐めて見送りの学生諸子を顧み 馬上から かう叫んで感慨深き訣(わか)れを告げて 遠く故国アメリカに去った 故クラーク博士の此言こそ 実に北大に一貫する精神である。
顧みれば それは四十六年前の昔であるが 併し 札幌農学校が農科大学と変り 更に北海道大学となっても故クラーク博士の此の一句こそ根深くも強く此学園に植え付けられて爾来幾百千の学生を今に激励し鞭撻して居るのである
博士は去ってもその言、その精神は永久に消ゆるの時はない
実にクラーク家の名誉も亦 永遠に此言と共に日本の学界から消ゆるの時はあるまい。
故国ボストンにあるクラーク家に於ても 非常に是を光栄とし 日本の噂、殊に札幌の噂を繰返されて居るさうだが 故博士の愛孫で 本年 アーモスト大学を卒業した青年 ウイリアム・スミス・クラーク氏は是非とも祖父の足跡を親く踏んで見たいとの止み難き愛慕の念から 今回 米国伝道会社から 特に此 札幌に派遣さるる事となり 日本視察の傍 学生伝道と云ふ名目の下に 昨日 午前七時五十分 札幌駅着急行列車で着札した
停車場にはローランド博士夫妻を始め 佐藤北大総長 南博士 森本博士 其他 故クラーク博士の教へを受た人々十数名出迎へ クラーク氏は、これも今回 初めて米国から北大予科英語講師として来任したレーン氏と共に 北大から差廻された馬車でローランド氏の宅に入った
尚 ウイリアム・エス・クラークとは故博士の氏名であるが 愛孫クラーク君は特にお祖父さんの寵愛深く故老博士の氏名を其儘頂戴したさうである
目下 博士の遺族は 六人の子息に沢山の孫があり 今回来札のクラーク君は 博士の次男の令息であるが 同君の叔父に当たる長男に子息なき爲 同君がクラーク家の相続者であると云ふ
(1921年:大正10年9月14日付 北海タイムスより)
札幌農学校の初代教頭として招かれ、「少年よ、大志を抱け」の名言を残して北海道を去ったクラーク博士。
博士が札幌を離れてから44年、同じ名前の孫が札幌にやってきたのである。

▲孫クラークとレーン氏(1921年:大正10年9月15日付 北海タイムスより)
一緒にやってきたのはハロルド・レーン。この名前でピンと来た方は、戦前の北海道の歴史に相当詳しい向きである。
のちに、軍事秘密の保護法に違反したとして北大生とともに逮捕される冤罪事件の被害者となる英語教師。この時は、そのレーン氏の札幌第一歩でもあった。
別日の記事で、北海タイムスの記者はレーン氏のことを「口数少なき温厚な紳士」と評している。
では、クーラクの孫は札幌で何を感じたのか。翌日の記事を読んでみよう。
札幌の自然は私を惹き着ける
お祖父さんの故クラーク博士が遺した光栄ある足跡を慕ひて 遥々(はるばる)万里の波濤を越え 此 札幌迄 遣って来たウイリアム・エス・クラーク君を一昨日の午後 ローランド氏邸に訪問すれば「ハロー」と見るからに元気な声を揚げて「能うこそお出でになった」と快活に手を握る、実に心持の好い程率直で天真爛漫だ
七尺近くの丈長だが 一見瀟洒(しょうしゃ)な貴公子然として居る口も能弁らしく 秩序整然 能く語る
「お祖父さんに就ては 私共遺族の者は非常に光栄と感じて居ります
殊に私がウイリアム・スミス・クラークとお祖父様の名前を 其まま有(も)って居るので 一層日本に対しては興味を感じ、又 格別にお祖父さんが札幌でなすった事業に関しては 非常に興味を感じています
そして 其事蹟などを色々と想像に描いて居り、小さい時から是非札幌へ来て お祖父さんを偲びたいと思ふていた
こんど米国伝道会社から此日本に派遣される事になり 而もそれが札幌と云ふ事を聞いて私は飛び立つ程の嬉しさを覚えました。
そして非常な喜びに満たされて遣って来たのです。
併しお祖父さんの様な事は出来ませんけれども家内を辱ず出来るだけお祖父さんの足跡を踏んで行きたいと考へています」
と話は要領を得て、キチンと纏めて口を結ぶ
それから来朝の感想談を聴くと
「今朝着いた許りで未だ纏まった思想談は出来ませんが、先刻 北海道大学に行って見ました
大変米国に似ています、殊に気候や自然が新英国に酷似なので 非常に心地能く感じています。
自分が新英国(ニューイングランド)から参ったので 日本の何処よりも此辺の自然が一層惹付ける力が強い様です」と語った。
尚 クラーク君はアーモスト大学の出身だが アーモストには外に故クラーク博士が創立したも同様な州立農科大学がある
故博士は長く同大学の学長で 札幌農学校に来た際も その大学に在任の儘であった
その大学が本年六月 第一回卒業生の五十年記念祭を挙行し 故博士の愛慕者が多数集まったさうだ
(1921年:大正10年9月15日付 北海タイムスより)
二人が滞在していたのは、宣教師で北大予科の英語教師も務めたジョージ・ミラー・ローランド氏の家である。
クラーク氏は早速北大を見学している。40年以上も経っているが、当時の建物や何やらもまだ少しは残っている時代であろう。
祖父が見た景色を想像しながらの散歩だったと思われる。
ここから102年が経過した2023年12月。
アメリカのノースカロライナ大チャペルヒル校のケイレブ・キング博士が北海道大学を訪問した。
キング博士の祖母の祖父は、クラーク博士。
クラークという名前ではないが、クラーク博士の血をひく、玄孫である。
クラーク博士はアメリカに帰ってからも札幌の話をよくしていたとか。
子孫の札幌詣でも、北大があるかぎり続いていくことであろう。