皇太子殿下、のちの昭和天皇のはじめてとなる北海道訪問である「北海道行啓」は終盤にさしかかっていた。
釧路、帯広、苫小牧、新冠、支笏湖、室蘭・・・というのが終盤の行程なのであるが、面白い事にあちこちで「馬」と出会っている。
7月18日は、釧路・大楽毛の馬市を見学、9頭の馬をお買い上げになられた。

▲大楽毛馬市の売買実況を台覧(1922年:大正11年7月18日)※北海道庁編『皇太子殿下行啓記念写真帖』大正11年より 以下同じ
翌19日は釧路から帯広へ移動、自動車で音更にある十勝種馬牧場へ行啓している。
ここでは、フランス産の種牡馬5頭を1頭ずつ引き出して台覧。
その後、おもりを積んだ四輪車を馬が曳くという「軽曳競走」を御覧になった。
さらに、帯広公会堂に戻って来てからも、サラブレッドなどを見学している。

▲十勝種場牧場の輓馬(ばんば)競走の様子(1922年:大正11年7月21日付 北海タイムスより)
そして7月20日。この日は、旭川から苫小牧へ移動し、昼に王子製紙苫小牧工場を見学。
その後は、のちの日高線となる「苫小牧軽便鉄道」で門別の佐瑠太駅まで移動したのち、新冠御料牧場へと向かった。
この日は泊まるだけだったが、翌21日は朝からじっくり、牧場を台覧する。
日高特有のお催しに終日お感興 斜ならず
【二十一日下下方発電】
起伏連立する十勝国境を行手に臨んだ 新冠御料牧場凌雲閣の一夜は 朝曇麗かに明けた
殿下には早朝 御眼醒 在らせられて 午前七時から御座所で馬群の移牧実況を御覧在らせられたが 六群の二 三才牝馬繁殖牡馬 子付八百五十頭余の牡馬が 牧夫の吹き鳴らす喇叭の音に連れて群遊 壮快な様は 痛く殿下の御感に召し 飽かず御賞覧在らせられた
【二十一日日高市父発電】
二十一日 暑気強く 牧場の温度 正午九十度に昇る
(1922年:大正11年7月22日付 北海タイムスより)

▲凌雲閣前の広場での馬の移牧の様子 (1922年:大正11年7月21日午前7時過ぎ)
この日は全道的に暑さが厳しく、最高気温は札幌で29.7℃、帯広は33.9℃まで上がった。
まだ浦河には測候所はなかったころだが、御料牧場は内陸にあったので、浜辺とは違って気温が高く、「華氏90度」となると摂氏では32.2度となるから、新冠でもかなりの暑さだったとみえる。
しかし皇太子殿下は、上記の放牧の様子を見た後、朝8時にはカナリア号に乗馬、あたりの景色を見ながら散歩をするという元気のよさであった。牧草刈り取りの様子などは、欧州の景色に似通うものがあるとの感想を持ったとのことである。
そして、この日は、アイヌ民族が乗馬する馬による競馬を御見学された。

▲メノコ競馬の様子
ピリカメノコの巧みな競争を殿下は御感斜ならず 微笑をたたへらる
【二十一日市父分室発電】
殿下 午前の服装は霜降の背広にストロウハットの御軽装
大尊寺場長の御案内で 蝉声雨よりも滋げき場内を御巡覧の殿下には 御予定よりお早く御座所右前方なる馬場に成らせられ アイヌのポンクラ競走 メノコ競走 子供競走 立乗競走等を御覧あらせられたが
馬場附近には アイヌの老若男女 盛装を凝らし 提携して拝観したが 其 異様なる服装には 殿下も時折 御愛しみの御眼を注がれた
競走は先づポンクラ競走に始まり 中央馬見所の御座所前をスタートして 五頭立 何れも五 六十才の老爺がアツシを着 サバンペを頂き 長髭を微風に靡かせて競う様は 往古相攻め合った当時を偲ばしむるものがあり
メノコ競走では十八 九の妙齢から二十八 九迄の五人が之もアツシに襷掛けで出場 其 叙法の巧妙なるには驚嘆の外無く 殿下も御感に召御微笑さへおもらしになって御覧あらせられた
更に子供競走には十二 三才の少年が勇敢なる乗馬振を見せ 立乗競走では疾走する馬の鞍上に立って 風を切って進む様は頗る痛快なもので 殊の外御意に召し 満悦の御様子で 十一時半御帰還 御昼食を召された
(1922年:大正11年7月22日付 北海タイムスより)
この競馬で1位〜3位に入った者に対しては、皇太子殿下から特別に賞品が下賜された。
特にメノコ競馬の1位となった秋田ミヨさん(18)、村田ハナさん(28)は、陛下の御前まで馬を曳き、その光栄を直接祝福されたようである。

▲メノコ競馬の入賞者の賞典拝受の様子 (1922年:大正11年7月21日午前11時頃:新冠御料牧場)
新冠御料牧場には2泊3日の滞在となった皇太子殿下は、22日6時半に牧場を自動車で出発。
9時20分には平取アイヌの奉送の儀を受けながら、佐瑠太駅発の列車に乗って日高を離れた。
そして支笏湖、室蘭を行啓後、皇太子殿下は7月23日午後3時半、戦艦日向に乗って東京への帰路へとついたのであった。