さて遅ればせながら札幌祭の話題をとりあげているが、ちょうど50年前の札幌祭りでは「カメラが見た決定的瞬間」たる大事件が発生していた。
昭和34年6月15日 北海道新聞夕刊
満員のサーカス小屋焼く
札幌祭りで混雑する創成川畔で満員のサーカス小屋が焼け、見物していた子供が踊り狂った象に踏まれるなど四十八人の重軽傷者と行方不明一人をだしたほか、猛獣が焼死する事件が起こった。
十五日午後二時五十分ごろ札幌市南四西一創成川畔で八木猛獣サーカス=団長八木勇さん(六三)・団員四十五人=の観客席北東側の下段付近から出火、火はたちまち燃え広がって、同仮設小屋八百三十五平方b(二百五十坪)を全焼、さらに隣接の見世物小屋"ライオン・ショー"=責任者岩沼高彦さん(三四)団員十八人=、"ストリップショー"=前田興行前田龍雄さん(二九)団員九人=を全焼、"ヘビ・ショー"=大崎興行部大崎銀次さん(三四)団員九人=を半焼。またそばの中央署臨時テント交番も焼いて同三時半鎮火した。
八木サーカスには出火のとき観客千五百余人が入っていたため大混乱となり、われさきに争って逃げ出す人、猛り狂う猛獣、解き放たれた象のために踏まれる子供などで、四十八人の重軽傷をだし、北辰、保全、札幌医大病院にかつぎこまれたが、死者はなかった。
日赤救急車が現場に急行、軽傷者の手当てをした。
この火事で八木サーカスなどのライオン二頭、トラ二頭、猛獣ショー岩沼興行所のライオン三頭、サル六匹が焼死、さらに一頭の象が逃げ出したが、まもなくつかまった。
原因は札幌中央署と市消防本部で調査中だが、八木サーカスの座員たちの話では観客のタバコの吸殻が天幕に燃え移ったものらしい。
次いで目撃者の生々しい話を。
観客の鍋島良治さん(二〇)=札幌市南四西二=の話
小屋に入って突き当たりの壁がちょっと赤くなったと思ったら、たちまち燃え上がった。夢中で飛び出したが観客を誘導して外へ無事連れ出すべきはずの団員がさっぱり姿をみせず、メチャメチャだった。
観客の立花政吉さん(六八)=古宇群泊村=の話
象のいる方から火がチョロチョロと出たが、はじめはすぐ消えると思った。前のほうにいたので上のほうからドッと人波が押しかけ、もみくちゃにつぶされ、思わず前にいたよその子供三人をかばったが、その子供もどうなったか。夢中で飛び出した。胸がいたい。祭り見物に一人で出てきての災難だが、孫たちを連れてこなくて幸いだった。
松浦清吉さん(三六)=札幌市琴似町発寒=の話
舞台で女の人が踊っているのを見ているときでした。観客席のうしろの方で大きなどよめきがあがったので、びっくりして見ると、もう真っ赤に火の手があがりました。入り口めがけて連れの子供を運び出すのに夢中でしたが、せまい出口なのでかなりの人が折り重なって倒れていました。
サーカス小屋が火事になったのは、それまでの北海道史上初めての出来事であった。
さらに騒ぎを大きくしたのはゾウである。
まず6月15日夕刊の記事から。
地獄絵そのまま
白昼しかも満員のサーカス小屋、ジンタのメロディーにとう然としていたお祭り気分の人たちが『火事だ!』という声とともにたちまち修羅場に投げ込まれた。火はメラメラとテントに燃え移る。サーカスの猛獣がほえる。小屋のなかはアビキョウカン。逃げ出す象に踏まれる晴れ着の子。ぶつかりあう人の悲鳴、それは地獄絵のようであった。
この火災で八木サーカスの象、優子さん(メス、十歳)は舞台に出る直前、火事に驚いてそのまま表に飛び出したが、やじ馬にますますどうてんし、創成川を渡って南六東一まで逃げ出し、同番地の会社員加藤正巳さん(五〇)方の玄関に飛び込んだ。
このため玄関、茶の間などはメチャメチャになり、加藤さんは足を踏まれ、妻加代さん(四二)はガラスの破片で手にそれぞれ軽いケガを負った。
象はそのまま加藤さん宅に居座り、八木サーカスの係員、警官などが遠巻きにし、象の腰にナワをまきつけて午後四時過ぎようやく連れ出した。
そして翌日16日朝刊にはもう少し詳しい話が載っている。
火に狂う象の突進
まず逃げ出した八木サーカスのメス象「ゆう子」の逃走で、思いがけない災難にあったのは札幌市菊水西町十雑貨商畑宮与一郎さん(四六)の父娘。畑宮さんは長女(一一)、二女(九つ)、三女(七つ)の三人を連れて八木サーカスを見物しようと、その付近まできたときのこと。
突然群集が"ワァー"と叫びをあげて押し寄せてきた。小山のような象がハナを振り立てて突進してくる。"アッ"という間に群集に押し倒されたとたん、象の大きな足で左の顔と右手を踏んづけられてしまった。
このおかげで与一郎さんは左目などに全治二ヶ月の重傷、いっしょに踏み倒された三女は左足に全治二ヶ月の重傷、二女は右足に全治一週間の軽傷。奇跡的にかすり傷一つ受けなかった長女を除いて、父娘三人が病院に担ぎこまれた。
この暴れ象に踏み込まれた南六東一の会社員加藤正巳さん宅もとんだ災難。
玄関のガラス戸を踏み潰され、奥六畳間に上がり込まれたのだからたまったものではない。
家の中はめちゃめちゃ。加藤さんは足を踏まれるし、妻加代さんはガラスの破片でケガをした。ただ長男の嘉信君(一二)だけは屋根でダシの見物をしていたために無事だったが『ボクのところにゾウが飛び込んだ』と叫びながら屋根から降りるに降りられず、真っ青になって屋根にかじりついていた。
このゾウが逃げ出し、人が逃げ回る模様をHBCが撮影している。当時の道新にも逃げる人に向かって悠然と歩くゾウの姿がHBC提供として掲載されている。おそらく今もこの映像は残っているのではないか?
騒乱がおさまってきたころ、祭りの露天は商魂たくましく商売をはじめていた。最後にその模様を転載しておく。
混乱の静まったその夜の創成川畔は相変わらずの人出。焼け残った南六条側の大林サーカスをはじめ、四軒の見世物小屋は午後五時過ぎにはもうマイクで客の呼び込みを始める商魂のたくましさ。
客足のほうも宵の口から出かけてきた市民や、半券持参の避難客で上々。小屋の中では満員の観客がつい先ほどの惨事も知らぬかのように空中ブランコの妙技に手をたたいていた。
焼け跡付近はお祭りかたがた火事場見物の野次馬でいっぱい。そのなかで木暮興行部の若いものや八木サーカスの団員たちだけが黙々としてオリの中のトラやライオンのなきがらを運び出し、焼け残ったキャンパスで包んでいた。
この大事のあおりを食ったのは近くに店を出していた露店商。商売道具は水びたしになるし、同夜は通行止め。十六日になって店をだしても「焼け跡じゃあ商売になりませんわ」とボヤいていた。
しかしなかには早速ミカン箱を並べて客寄せにかかる露店もあり『火事のお祭りで買ったとなると記念になるよ』と呼びかけて、お客さんを苦笑させていた。