2012年06月02日

明治末年北海道記3:1912年4月6日札幌・けなげな乙女逝く

今の世の中、生活保護受給問題が賑やかである。

今ターゲットとなっているのは芸人であるが、昔からよく結婚やら離婚やら事件やらで芸人が大きく取り上げられ、メディアの中心にいるような場合は、ウラで国民の目をそらしたいような事象が進んでいることが多いと言われる。

現に、今、政治の世界では消費税率引き上げの法案が正念場だし、大飯原発もいつのまにか再稼動する方向に動き出している。時に、新聞は一面より二面のほうに注意しなければならないというが、この6月はまさにそういう時であろう。

さて100年前、生活保護法ほどのしっかりとした困窮者扶助制度はなかったものの、「恤救規則(じゅっきゅうきそく)」という公的救済制度は既に存在していた。

明治の世でも、既に税金を使用した困窮者救済システムがあったことにはやや驚いたが、この規則の成立は1874年(明治7年)というから歴史は古い。身寄りがなく、高齢、幼少、疾病、障害により生産活動に従事できない極貧の者に米を給与するという内容であった。

この規則が大正も続き、昭和に入ってより高度化した「救護法」という法規が成立、戦後にその他の救済法と合体することとなり生活保護法となって、いくたびかの改正を加えながら今に至っている。

現在の生活保護を受けている人達は、明治の世の人にはどのように映るだろうか。
100年前、明治最後の春を迎えた北海道では、紙面に貧しい人たちの様子が時折登場してくる。

1912年(明治45年)4月13日 北海タイムスより


我が児を遺棄し 自首せる青年

去る十日午前、小樽奥沢村育成院の前にむつき(?)に包める嬰児を遺棄せる者あり。
折柄通行人が発見し、小樽署へ届出、該嬰児は育成院にて引取りたるが、昨日午前十時頃、該嬰児遺棄の犯人なりとて同署へ自首し出たる男あり。

此の者は札幌市南四条東一丁目、渡辺太郎左衛門次男・政吉(二〇)と呼ぶ青年にて、当時南一条西二丁目、薬種問屋斉藤弘輔方の雇人なるが、昨年二月頃、共に同家に雇われ居たる女中・中川モン(三二)といふ年上の女と私通し、モンは間もなく妊娠せしより九月中暇を貰ひ、南四条西一丁目十番地・館林ヨキ方に同居し、十二月に至り女児を分娩せしかは

爾来、政吉は僅少の給料を割きてモンに贈り、母子を養い居たるも、此のことが主人の耳に入りては面目なきのみならず、嬰児がありてはモンの足手まといとなるより、一層孤児院へなりとも嘆願し、自己が独立の身となるまで預けんものと考ひ、モンに対しても小樽に居る親類に預けると欺きて、前日正午頃、我が児を抱きて小樽に来たり

停車場よりインパネスの袖に包みて人目を避けつつ小樽育成院の門前に至りしも、気遅れて門内に入り兼ね、空しく十数回門前を往復せしが、其のうち日暮れ、九時頃となりしより、心を鬼にして我が子を門外に棄てて帰札せしが。

その後良心の呵責に堪え難く、昨日自首し出たる次第なりと



棄て子の記事である。
棄てたくはないが、置いてこないと今は暮らしていけない。
育成院の門前を悩みながら子を抱いて往復する姿が目に浮かぶ記事である。

なお、この子は政吉の叔父がしばらく引き取り、養育することになったようである。

十勝にも貧しさに喘ぐ家族がいた。
同日の北海タイムス


貧のドン底に四苦八苦 一家六人

十勝国は帯広町西三条四丁目七番地・大野清松(四二)といふは十四年前、郷里岐阜県揖斐郡黒野村から渡道して帯広に落ち着き、晩成社農村の小作人となって一生懸命稼いだが、兎角貧乏神が取り付いて離れず

其中(そのうち)女房ナミ(三三)との間に長男磨男(十五)長女マツエ(十二)次女ハルエ(一〇)次男三雄(八つ)三男策(六つ)四男実(四つ)といふ六人の子まで出来て、活計(くらし)が益々苦しくなり、詮方なきに長男・磨男は町内大通十丁目・車大工某方へ年期奉公にやり、三男策は他に呉れて一家の口を減らした上、農夫をやめて帯広郵便局の逓送夫となり、女房のナミには出面稼ぎをさせて二人共稼ぎでセッセと働いて見たが矢張り活計向き(くらしむき)は面白からず

是ではならぬと今度は馬車追が儲かるだろうと早速馬車追になって一昨年の冬から昨年の春にかけて、北見の山の中へ角材搬出に出稼いだが、これもなかなかうまく儲けにならず懐中寒げにしほしほ帰って来た所に、悪いときには悪いもので、あの寒い寒い北見の山の中に無理な身体の使い様をしたのが基で、冷えを込み、帰る早々持病の淋疾が酷く起こってドッと寝たまま身動きさへもならぬという始末。


貧の上塗り、泣くにも泣かれず、家道具を売り出しつつ手療治の我慢を重ねて一二ヶ月も過ごす中、とうとう患部が腐乱して、日に日に肉がトロトロ流れ失せるといふ生命の瀬戸際に足を踏み入れ、加之(おまけに)貧のどん底に落ちた一家、二日も三日も食を断つ事、往々あり。

病に呻く(うめく)清松、それやこれやで悩みに悩んだ果ては、いっそ死んだがましならんと、幾度か縊死を企てたが、いつも女房に遮られて果たさず、昨今ぼろの中にくるまってウンウンうなりながら徒に(いたずらに)拱手して死を待つ痩せぼうけたる、憐れの姿見るも涙の種である。

それにこの病みつかれたる父を囲んで飢えに泣く無心の幼児、看護と飢えとに窶れ(やつれ)果てたる色青ざめた女房の影薄げな姿。あわせて真に目前なる餓鬼道は恰幅を見る心地がする

されば流石に此の状を見るに忍びず、町内大通五丁目・小片医師は昨今施療をなしつつあり。
又、同大通七丁目安井商店では一日白米一椀ずつ一、二ヶ月間恵與(けいよ)し、外に同県人なる清水泰治・高橋吉次郎等も何やかやと世話を焼いては居るが、なかなか思うように手も届かず、安井の施米も今は絶えてしまったので、一家は此の頃干乾(ひぼし)同然、目も当てられぬ惨憺(さんたん)たる有様で、親子六人相おうして飢餓に泣いている様は無惨といはうか憐れといはふか、寧ろ(むしろ)言語の外である。 



樺太でも、稼ぐ為に一家の大黒柱である父親が冬の間に伐採作業などで無理をして脚気を患い、一気に家族全体が貧にあえぐという姿が紙面にみえていたが、北海道でも似たような状況であったようだ。

農家でも郵便局でも一家を食わせて行くには足りない給料
儲かる仕事と思って厳しい冬の作業で無理をして病を患うとたちまち生命の危機を覚えるほどの困窮へ転落する。この時代の父親の存在というのは非常に大きいものがあったといえる。


両親が病に倒れて動けない場合はどうなるか。
その場合は子供が身を粉にして働くしかなかった。

1912年(明治45年)4月14日 北海タイムスより


斯くの如く哀れな健気な娘は逝けり
兄は入営し老夫婦の飢餓

(札幌)区内南七条西一丁目十四番地といふと遊園地物産陳列場の裏手になるが、其処には三戸建ての羽目さへ落ちて物置同様の長屋がある。

其の一戸を借家して住む野口秀時(二二)と呼ぶは一昨年、歩兵第二十五連隊第五中隊に入営し、今尚、隊にありて、家には実母・野口ヒワ(五八)と養父鈴木某(六〇)、秀時の妹・おトヨ(一八)の三人あるが

養父鈴木は今より七年前、悪性のレウマチス(リューマチ)に罹り、それが慢性となりて身体の自由を失いたるに、あまつさえ其のレウマチスが眼に及びて昨今は盲目同様の境遇になり

又実母ヒワは元来身体のかよわなる上に、先年来眼病に罹りたれば、夫婦坐食の始末に秀時入営前は妹を相手に種々稼業に従事して老夫婦を養ふて来たが

愈々(いよいよ)入営といふ段になると入営後の家事向きが案じられてならず、然るに妹おトヨは健気にも秀時を慰め「兄さんが入営しても私は何とかして両親を養ふて居ますから、心配せず御国のために勤めて来て下さい」とて入営したのが、明治四十三年の十二月であった。


爾来、おトヨは雨の日も雪の日も厭わず、市中を煎餅売るか、鰌(どじょう)を売るかして半日も休まず商売に勉強して一日に二十銭に足りない利益を得、是にてどうやらこうやら一家三人糊口して来た

その激しい稼ぎから身体が冷え通した結果、病気を起こしたれど、医薬にかかる資力なく、唯だ神仏を祈願するのみなれば病は日一日と募り、遂に本月六日に至り、哀れにも死亡したれば、夫婦の悲嘆は勿論、兄秀時はさながら片手を奪われた思いに悲しみ、一日の賜暇(しか)を得て実家に帰ったも、前記の如き境遇だから葬式も出せず、近所の人の世話で僅かに桶を貰い、之におトヨの死体を容れて荷車に積み、秀時が其の車を牽いて漸く野辺の送りを済まし、帰隊したが

さて、秀時帰隊後の老夫婦は如何にしてよきか
喰ふことも呑むこともならずに昨日今日飢餓に迫りて死を待つ有様に、夫婦の昔を知る人は其の悲境を深く気の毒に思ひ、第二十五連隊につきて長男秀時の除隊を出願したが果たして許可になるかどうか。

もし除隊が叶わぬとせば、老夫婦は到底餓死を免がるまじと界隈の取り沙汰なり

さりとはびん然な話


生きていく為には無理をしなければならない、それがたとえ寿命を縮めることになっても、弱い存在のためには命を削って働かねばならない。

この時代の公的援助は暮らしに必要な費用というよりは最低限の「米代」の補助。
わずかに日銭を稼いで一日一日を生きねばならない市民に薬代を捻出することは相当の困難であった。


一家を支える存在が病に倒れるということは、そのまま一家全体の暮らしが成り立たなくなることを意味する。それが明治末の北の暮らしの姿であったのか。

posted by 0engosaku0 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 1912年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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