昨5日はニュースになるくらいのゲリラ豪雨っぷりで、道東方面には竜巻注意情報は出るわ、札幌にも大雨警報は出るわ、北見では一時間に36.5ミリとバケツをひっくり返したような雨が降って浸水被害も出た。
北見はもともと雨の少ない所で、たった?70ミリちょっとの日降水量だったのだが、立派に7月の日降水量記録を樹立である。
もちろん雷雲が原因だから、激しい落雷もあった。札幌も昨日は午前10時51分に雷鳴と電光(たしかこういった名のポルカがあったが・・・)を観測。5月26日以来、今年2回目の雷の観測であった。
さて、雷電といえば、北海道ではらいでんスイカという美味しいスイカのブランドがある。7月だから、もうそろそろ店頭でも少しずつ出てくるころであろう。らいでんスイカは共和町で生産され、その名は「雷電海岸」という岩内周辺の奇岩・断崖の景勝地からきている。
今から100年前の春。この断崖絶壁の雷電海岸は悲しみの地であった。
1912年(明治45年)4月18日 北海タイムス
岩内 大地すべりの詳報
去る十五日午前二時二十分、岩内郡島野村字雷電滝の下にある武井辰太郎出張漁舎が俄然崩落し来たれる土砂混じりの石塊大地すべりの為めに住宅一棟、倉庫一棟、納屋一棟全部を埋没し、即死九名、重症者八名を出したる大椿事発生したることをとりあえず報道し置きたるが、今其の模様を左に詳記せんに
▼凄惨たる現場
今回の惨事の現場は、岩内町を距る(さる)二里、雷電・中の滝の下にて、背面は恰も(あたかも)屏風を立て廻したるが如き断崖絶壁の五十丈もある中腹の脆弱(きじゃく)なる地層なるが、内部に水気が浸透し居る所へ同夜来の降雨が動機となり地盤が緩みて数百坪一時に崩落し、殊に勾配甚だ急なる為め凄まじく地すべりするに至りしものの如し。
しかして住民は見取り図に示したる如く現場の西方にあり、二、三間隔たりたる少しく山麓の方に倉庫あり、夫れより住宅とやや並びたる東方に納屋ありたるも何れも十尺乃至二十尺の地下に影を没し、其の上二間立方体の大石塊を混へ、恰も大震災後の惨状を見るが如く、其の光景惨憺たり
<雷電の崩落現場見取り図:紙面より>
▼警官と消防組
岩内署にては此の急報に接し、橋本警部補数名の巡査を引率し、向山消防組頭は消防手六、七十名外に島野村消防組全部と現場に駆けつけ大活動を開始し、生存及び負傷者の外は悉く圧死したるものと見做し(みなし)、死体発掘に従事したり。
然るに当日午前十一時頃に至り、土塊の地下に微かに(かすかに)苦悶の声を発するを聞き、一同全力を傾注して掘り出したるに、小松まさ(三八)重傷ながらも命ありしは九死に一生を得たりとも謂ふべし。
▼生存者桜井の談
万死に一生を得たる漁場監督・桜井栄太郎の語る所によれば「十四日の夜十時頃、此の滝の方より大きな音響がして石塊らしきものが落下したるため、私と船頭吉田長治郎、外二、三の者と外に出て見たが、暗夜で能く判らぬが石塊か氷塊か落下して電話線を切断したを見たまま、他に何等異状なき為め一同、寝に就いたが
午前一時頃降雨がありし、故船頭が矢張り三、四人の漁夫を網に雨覆いを施し、又々一同寝床に入りm船頭のみ私の傍らの炉辺に足を伸ばし、私は長男孝三(十六)と共に寝ね居りますと、轟然一大音響と共に家屋倒潰。
私は石塊に埋まれたるもウンと踏ん張り這い出て孝三も引っ張り出し、生存者を指揮して岩内其の他に急報したる次第です云々。
犠牲者の名前も住所入りで示されているが、新潟県が2人、富山県が1人、函館の戸井村が1人、森町から5人の計9人である。
当時はニシンの漁の絶頂期。
ニシンのためなら危険なところにも番屋を立て、寝泊りしながら沖合の金の成る魚を来る日も来る日も追い続けた。
春先に北海道に出稼ぎにきて、まとまった金を得て内地に帰って行く者もいれば、板一枚下は地獄。春の荒波を受けた船もろとも海の藻屑と消えた者もいた。
さて、今、この雷電・中の滝で検索しても全然ひっかからない。
北海道の滝を集めたブログの中に、それらしき滝を見つけたが、この写真をみるかぎり断崖絶壁で猫の額ほどの海岸。こんな所でも、ニシン漁にとっては都合がよかったのだろうか。
雷電岬は弁慶が刀を掛けたという奇岩のある風情のある場所。
今やこの話はまったく忘れられていると思うが、こんな悲しい明治の思い出も、ちゃんと拾っていくべきであろう。
さて、雷電では岩を崩した雨。おそらく低気圧が通過したものであろう。
翌日、旭川では四月の半ばをすぎての雪となっていた。
1912年(明治45年)4月18日 北海タイムス
旭川の降雪
十六日夜来降雪あり。積雪三寸余に達し一時旭川附近一面の銀世界と化し、冬の光景を呈したるも、正午頃迄には融雪したり。
(旭川電話)
【関連する記事】
- 明治末年北海道記52 1912年7月6日 恩賜の時計と看守の時計
- 明治末年北海道記51 1912年7月5日 ”不二湖園”の開園
- 明治末年北海道記50:1912年7月1日 道庁赤れんが庁舎再建!
- 明治末年北海道記49:1912年6月28日 樺太守備帰還隊が旭川到着
- 明治末年北海道記48:1912年6月26日 札幌中学校のマラソン競争
- 明治末年北海道記47:1912年6月18日節婦の鑑!北海道長官から表彰
- 明治末年北海道記46:1912年6月15日札幌まつり
- 明治末年北海道記45:1912年7月1日樺戸監獄破獄事件(6)
- 明治末年北海道記44:1912年6月21日樺戸監獄破獄事件(5)
- 明治末年北海道記43:1912年6月19日樺戸監獄破獄事件(4)