2012年09月12日

明治末年北海道記13:1912年5月4日メイストーム北海道を襲う

岩見沢水没!という感じのニュースが今日の全国ニュースになっていた。
豪雪に残暑、そして豪雨と、今年の岩見沢はこれでもか!と痛めつけられている感じがする。

しかしもともとモデルの予想ではあの集中豪雨が降るのは「札幌」のはずであった。たかだか20〜30kmほど東へずれたからあのようになったのであるが、札幌で同じ雨が降ったならば、被害も報道の扱いも、こんなものではすまなかったであろう。

2012年の気象災害は岩見沢が一手に引き受けているようなものであるが、一方、1912年は今のゴールデンウィークの期間中に大災害である。そのひとつが前に紹介した「夕張炭鉱爆発事故」であった。そしてもうひとつが、北海道と樺太を巻き込んで電信電話をズタズタに引き裂いた「メイストーム」である。

樺太の状況は前回にまとめたが、今回は北海道の状況について北海タイムスの記事から書き起こしていく。

まだ夕張の事故が紙面の多くを占めていた1912年5月5日の紙面。
この記事がメイストームについて伝える最初の記事である。


昨朝来の暴風雨

昨朝来の暴風雨に就き 札幌測候所の観測に由れば 同日午前六時 740ミリ(987hPa)の低気圧日本海北部に在り 別に能登半島付近に744ミリ(992hPa)の低気圧ありていずれも東北東に動き 高気圧は太平洋上に762ミリ(1017hPa)、清地方(中国大陸)にも同度の者ありて其の中心漸く近づくに従い 北海道は南東方の具風となり 昨日午後は風速平均一秒時に約十二間(21.8m)にして此の圧力一坪(3.3平方メートル)に60貫900匁(約230kg) 又降雨の量は一坪に約七石弱(1.26㎥)なりき

尚 高低両気圧の接近するに連れ風勢一層猛烈となるべく一寸●るべき模様も見えざりき

●=判読できず・・


そこそこ発達した二つ玉低気圧の接近が南東の暴風を吹かせ、北海道も荒れた天気となった。
こういう気圧配置は札幌や倶知安、寿都、深川、留萌など日本海側では地形の影響で局地的にかなり風の強まることがよくある。

5月4日の風速を中央気象台月報から拾うと函館19.9m/s(15時) 札幌26.0m/s(16時)、根室27.3m/s(5日1時)、寿都31.8m/s(18時)、旭川17.3m/s(14時)、釧路25.1m/s(18時、22時)、網走26.1m/s(22時)、紗那23.2m/s(5日2時)となる。

樺太も大泊で20.3(14時)、真岡27.4m/s(22時)、落合19.9(m/s)、敷香23.1m/sという具合。

風向きはどこも東〜南東でそろっている。低気圧接近時の暴風が特徴的だったこととなる。
おそらく低気圧の後ろ側は気圧の傾きがゆるかったのであろう。優勢な高気圧に発達した低気圧が進路を阻まれているような場合にこのような風が吹きやすい。

札幌はどうなったのか。


▼区内の暴風被害

▽道庁長官邸の黒塀二個所 約五間 兼事務所板塀破壊
▽札幌支庁の木柵一箇所約三間倒壊
▽裁判所正面左側の板塀約十間 道路に向かって倒壊
▽北八条東二丁目十二番地 金屋雑貨商側遊園地 真弓所有の土蔵屋根吹き飛ばさる
▽豊平橋派出所奥の小屋破壊す
▽裁判所庭内の松二本 道路に向かって倒る
▽区内各所の看板の破損され 又は吹き飛ばされたるもの多数あり
▽南六西三 星野病院前電線切断
▽薄野富貴楼前 桜樹三本 地に寝る
▽西創成小学校竹垣三間倒る
其の他板塀垣根の倒壊多



札幌は軽微な?風害で済んだようだ。

このほか融雪増水期を迎えていた石狩川や豊平川はやはり増水、幌向では浸水被害があったり、斜里の猿間川では木材貯留場から材木が大量に流出するという被害もあったりした。

しかし、大惨事に展開していた町があった。
その名は「岩内」である。


●岩内沖大椿事

爾来の暴風雨にて岩内港外稲穂崎より磯島内方面にかけ 鰊(ニシン)漁の為め建刺網に従事せる漁船約三十艘は行方不明となり 陸上との連絡附かず 確かむる能はざるも 多くは怒涛の為め沈没せしものならん

右漁船には何れも五、六人乃至(ないし)七、八人乗込み居れり
市街は屋根或いは看板吹飛さるるあり 危険甚だしく人馬の通行も能はざる程なり

(四日午後五時岩内電話)


先のデータで見るように、各地とも南東風で一番強いのは寿都である。倶知安から岩内にかけても寿都ほどではないが、地峡となっているので同じように南東からの風は強まりやすい地形だから、30メートル前後の風が吹いていたであろう。

陸から海へ向かって吹く風=出し風。船を出す風である。
沖合で異変に気づいた船が戻ろうにも、風に押されなかなか前に進まない。しかもどんどん激浪へ変わる中である。
樺太の西海岸、そして北海道の西海岸。ニシン漁最盛期で船がたくさん出る季節。
メイストームは全くの招かざる危険な客であった。

翌、5月6日の記事には各地の暴風雨による出来事と共に、岩内の惨事が大きく取り上げられている。


▲上川暴風雨
上川地方は五月四日朝九時頃より強風起こり・・・中略・・・午後三時より四時にはますます風力加わり 旭川町市街は看板飛び 屋根柾(まさ)吹き剥ぐなど物凄く 行人目口も開かず 加ふるに気温甚だしく下りたり・・・後略

▲留萌の大被害
留萌町は昨夜より西南の暴風雨吹き起こり 今朝来より益々凶暴を極め 砂塵を飛ばして天地瞑もうたる中を屋根柾其の他を吹き飛ばし 被害頗る多く

町役場及び区けい?院建物は全部倒壊したる外 屋根を剥がれたるもの数百戸の多きに及び

尚 鰊漁場の被害も亦た甚だしく昨日来より鰊は大漁にて約七千石を収穫せるも 俄かの風雨に遭ひ 悉く投棄せる外 出漁中の漁夫は網を揚ぐるの暇なく空しく沖合に漂流せるものもあり

然るに此の天候にて救助船を出すを得ず 明日迄も継続せんか海陸共に意外の損害となるべし

(四日午後八時留萌発)

●岩内沖の大惨事 溺死者約一百名

既報の如く 四日朝来の暴風は同日午前十時頃 俄然東南の烈風と変じ 怒涛益々高く 岩内港外に於て建刺網漁業に従事中の漁船約三十艘は忽まち(たちまち)沈没し

乗り込み漁夫約三百名の内 百五十余名は辛うじて上陸するを得たるも 其の多くは行方不明となり 或いは古宇郡方面に漂着し九死に一生を得たるものもあれど 本社支局員の調査せし所に依れば 溺死せるもの六十余名に達すべく

内 死体発見せる者三十四名にして今尚行方不明者八十余名あり

今に漂着せざれば皆溺死せしならん
死体の漂着せし人命左の如く(=ただし記事に名前なし)

岩内水難救助所は昨日来 必死となりて救助に従事しつつありて 岩内港は一大修羅場と化し阿鼻叫喚の聞こえやまず

死体運搬の惨状目も当られざるの惨状を呈せり

(五日午後五時岩内電話)


ヤマでも海でも・・・大惨事。
まだ途中だが、話の続きは後日。習近平の消息とどちらが早いか・・・
posted by 0engosaku0 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 1912年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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