夏オヤジこと、夏の太平洋高気圧は急速にその勢いを弱めている。風船がしゅーっとしぼむように。
前線帯は南へ下がり、北海道には大陸からの秋の空気が入ってきた。
北海道の異例な9月連続真夏日も8日でストップ。いよいよ待ちに待った秋!だ。
毎日種々の天気図を眺めているからこそ、季節が動くのをはっきりと捉えることができるものである。
さて、季節が動き、習近平さんも出てきたから、明治末のメイストームの話も先へと進めることにする。
時は1912年。5月の岩内である。
1912年(明治45年)5月7日 北海タイムスより
稀有の大暴風雨
▲岩内惨状
岩内海上の大惨事に就き 其の後の模様を報せんに
椿事以来 岩内水難救済所 及 岩内警察所は全員必死となり徹宵にて救助及屍体引揚げに従事しつつありて屍体発見 及 死亡せりと確認せらる者左の如し
岩内町漁業 坂本六兵衛(五九) 坂本倉政(三八) 森喜代太郎(三三) 森清治(二一)・・・・・
(中略)
右のうち岩内町坂本六兵衛氏は漁業家にして町会議員なるが 惜しむべく又た遭難後 三昼夜の久しきに亘るも生死判明せざるもの尚八十余名あり
是等は何れも溺死せしなるべく古宇郡沿岸に漂着し居るならんと
岩内署よりは橋本警部補 同方面へ出張取調べ中なり
亦た行方不明となりし漁夫中 古宇郡方面に漂着 九死に一生を得たる者もあり
然れども行方不明者の遺族は三日間を経過せしも上陸せざるより 多くは溺死せるものと認め 夫々葬儀の準備に取り掛かり居れるが 本日浜中水産組合より岩内水産組合へ宛て 御舞内町・田川弥一外二名船と共に当地沿岸に漂着したれば旅費送れとの電報到着せり
之を聞きし家族等は葬儀道具も投げ棄て 夢かと許りに打ち喜び 一場の喜劇を演ずるものあり
また椿事の急報に接するや後志支庁より第二係首席属 来岩 親しく遭難者遺族に就き慰問しつつあり
今回の大惨事に就いては岩内町水難救済所器具費として当町漁業家・畑澤要吉氏は百五十円を寄付せり
又た午後四時四十分小樽入港の帆船・快栄丸にて岩内沖の遭難者三名を救助したるが 幸ひ生命に別状なきも何分言語通ぜず手当て中と小樽警察より打電あり
又た午後三時半頃 天塩国苫前郡力昼村漁業組合より岩内水産組合に下の打電あり
「皆川と記したる漁船只今漂着 乗組者は皆川與四郎 新井田新七の二名にて 皆川は既に絶息し居れり」
80人ほどが救助されたものの、およそ100人の死者・行方不明者を出した岩内沖の漁船大量遭難。
死んだと思っていたら漂着して助かったという話もあるが、遠くは岩内から苫前まで流されたというから暴風の力おそるべしである。
早速この大惨事に対しても、義捐の動きが始まった。
▼基督教徒活動
岩内町における日本メソテスト協会及び基督教青年会並びに基督教婦人会の三団体は 今回の大惨事に対し 遭難者遺族救済のため全国教会信者へ悲惨の実況を記載せる書状を発し 普く(あまねく)義捐を募集せんと既に着手せり
最初に動いたのは地元の水産組合、そしてキリスト教徒であった。
次に大きなうねりを起こしたのは「芸妓(げいぎ)」だった
●岩内惨事 義捐大演芸会
去四日 岩内町・島野村両所に於て漁夫百三十三名乗り込みの漁船遭難事件は 夕張炭山の瓦斯爆発事件後の一大椿事にして現に死体を発見せるもの僅かに三十四名、行方不明の者 今尚七十九名の多きに達し、遺族は何れも親に離れ子を失ひて糊口に窮迫するの参況に頻し居るより 三見番芸妓連は大いに同情に堪えんとて大黒座主・若狭ヨシ子に図り 来る十五・十六の両日 同座に於いて同惨事に対する義捐大演芸会を開催せんとの計画にて 広く大方慈善家の同情を求め義捐金を募集選との事に 本社も大いに此の挙に賛し 十分の声援を与ふるべく快諾したる
三見番芸妓連取締役 札見の松寿、元見のはつ、町見の可吉等 寄々に番組の取極め中なるが主なるものは東京庵手踊、幾代踊、東寿司連の喜劇、東家連手踊、札見静子、吉次、都、鹿の子、花子、長松、栄太郎、君、お富、のんき、竹松、小雪、愛子、伝平、三太郎等の踊、長唄、議太夫、元見八千代に義太夫の芝居、福助の踊、快栄の長唄、君子、小梅の踊、町見照子、花子の手踊にて十五、十六両日間は盛大に挙行する事になりたれば、慈善家は開場当日は多大の同情寄せられたしとのこと
ちなみに大黒座主・若狭ヨシ子は小屋賃を寄付し無料となす旨 同演芸会に取り込みたりと
札幌の大黒座で15日午後1時より、この岩内義損大演芸会は開催されることとなる。
夕張と岩内。人災と天災。いろいろと立ち位置は違うが、義捐の輪が重なる明治45年春の北海道であった。
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