2012年10月13日

明治末年北海道記17:1912年5月12日ドクゼリで駒を斃す

竜巻の次は大雨。

12日夕方から強まった東部の雨は、白糠周辺に「秋の集中豪雨」をもたらした。たった7時間で96ミリである。さすがにここまで降るとは・・・。今年の秋はこういう予想外のことが多い。

北海道の山林ではちょうど落葉キノコがにょきにょきと生えていて、この週末にはキノコ狩りというむきも多かったと思うが、この雨ではキノコもダメになってしまったか。毒キノコばかり残してほしくはないのだが・・・。

山の恵みの恩恵に預かるのは秋はキノコや「やまぶどう」、栗とかの木の実などになるのだが、春であればギョウジャニンニク(アイヌネギ)に代表される山菜たち。

もちろん秋のキノコに毒キノコがあるように、春の山菜にも毒がある。
明治の末も、この毒は恐怖の存在であった。

1912年(明治45年)5月12日付け 北海タイムスより


●毒芹(ドクセリ)駒を斃す
春の野遊 毒草に心すべし

札幌郡篠路村字カマヤス 宮西頼一は数日前一頭の飼馬を牽き 野に出て偶々(たまたま)隣家の者に行き遭い一言二言雑談する内 馬は水辺に下りて怪しき草根を噛みたるに気付き 頼一は急ぎ手綱を取て走り帰りたれどすでに遅し

彼の馬は四肢を激しく震わせ 玉の様なる汗 全身に滴り 力の限りに前足をかき後脚を蹴り 咽喉をからして悶え苦しむ様 目も当てられず 物の十分も経たぬ間にパタリと斃れ死にたり

同人は此の草のためすでに三頭の馬を喪い 村内にて是迄八 九頭の馬斃れたる次第なれば一般の畜産家にも注意せられたしとて 同人より本社に右の草根を送り届けたるが 之は俗にドクセリと称し 地方に依りてはオオゼリ及びオニゼリなど呼り 多く湿地に生じ 外見甚だ芹(セリ)に似て 茎葉とも大きく夏の頃三、四尺に成長し 根は西洋山葵(わさび)の如く大きく膨れたり

此の草はシキウタという有機分を含み 欧州にてはヘンロックといひて 昔 大哲ソクラテスが仰ぎしは此の毒なりと伝えたり

普通の芹は根 塊なき細い糸のやうな根なれば容易に見分けらるべし

今が丁度芽ざす時節なれば青草に飢えたる家畜の用心のため 牧場内の湿地を見回りてこの種の毒草を抜き取り焼き棄るか 左もなくば湿地に家畜を入れぬようにする外なかるべし

春の野に萌ゆる毒草は是にも限らず ノウルシ、タカトウダイ、タカブシ、狐の牡丹、馬の足型、ブシなど数多あるべければ長閑なる日に浮かれて摘草遠足などに出る人々も 滅多な草は舐めたりせぬが宜し。



ドクゼリは初夏に白い花が咲き、これはこれできれいなのだが、きれいな花には毒があるの名言どおりというべきか、馬も倒すような猛毒がある。
セリと同じようなところに生えるので、人間様もよく間違える。馬も当時で七、八頭もやられているというのはまたちょっと驚きである。今でもニュースにならないだけで、放牧地では牛や馬がドクセリにやられて命を落としているという話もあるのかもしれない。

19120512セリ見分け方.JPG
▲記事にあるセリとドクセリの根の違いを示した絵(1912年5月12日北海タイムス)

記事にある「摘草遠足」という言葉。のどかな春の山菜取りの様子を言い表していて、素敵な表現だと思う。来年の春には是非、今の世に復活とばかりに使ってみたいものである。

さて、春の野には危険がいっぱいというわけであるが、馬が倒れる一方で人は逃げていた。

同日の北海タイムスより


●百姓の食い逃げ

留萌市大字三泊村字オビラシベ原野十五線・林平次(三十)は去月十日より留萌町に来り 南大通・安藤旅店に病気療養と称して泊り込み 宿料牛乳代など十三円余の払い滞り 晦日の午前 中野嶽病院へ行くといひ外出せる儘(まま)逃亡せしかば 詐欺取財として留萌署へ告訴せらる



旅館の人に言わせれば、それこそ、ドクセリを食べさせたい心中だったであろう。

posted by 0engosaku0 at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 1912年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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