2012年10月20日

明治末年北海道記19:1912年5月16日衆議院選挙開票!

19日午前9時10分。稚内で初雪。
平年より3日早く、初雪前線は宗谷海峡を渡った。
豊原(ユジノサハリンスク)でも19日の10時にみぞれを観測しており、実況で確認できる今季最初の雪となった。

手稲山も頂上付近が白くなり、いよいよ来るものが来たか!という感覚である。週明けはまたさらに強い寒気が入るから、雪線がまたふもとに向かって下がるだろう。

今年の初雪一番乗りは稚内という結果となったが、このブログ的には100年前の総選挙の結果がどうなったかを記す番である。

1912年(明治45年)5月17日 北海タイムスより注目の札幌区の開票速報を


▽札幌区の開票

▲所謂理想団の奮闘
最後の一日に於いて予想外の戦闘を為したる札幌区は 大勢に於いて既に決し居るとは云いながら何となく不安の色を湛へつつ開票の結果を待てり

予定の如く 十六日午前八時開票を始むるや両派の幹部何れも血走る眼を見張りつつ 伝令が齎す(もたらす)票数により一喜一憂を為す様 誠に奇観なり

百 二百と採点の進むにつれ 両者の得点は殆ど並行し 少しの差を認めず

流石の浅羽派も敵の奮闘の如何に猛烈なりしか一驚を喫したるものの如く見受けらる

採点は暫次進行して三百三十七点阿部宇之八と採点せらるや形勢は実に混沌として殆ど補足するに苦しむ有様となれり

然れども同歩調を以て進みたる阿部氏の得点は之れを限度として俄然停止したるに反し 浅羽氏の得点は四百 五百と其数を増すのみ

此の悲報を受けたる理想団の心事や如何に

切歯扼腕(せっしやくわん)するも時機は既に去り 形勢は遂に挽回する可くもあらず

憐れ理想選挙を旗しょくに孤軍奮闘したる理想団も三百三十七票を最後に敵の為に屠られ了んぬ時に十時なりき

斯くて理想団を一蹴し去たる浅羽氏は得点遂に七百四十点を収め 最後の桂冠をかち待たり

午前十時四十分開票を了する結果 左の如し

(当選)七百四十票 浅羽 靖
(次点)三百三十七票 阿部 宇之八

四票 古川豊雄
三票 中西六三郎
一票 高桑市蔵
一票 高岡熊雄
一票 一柳仲次郎
一票 浅羽晴

即ち有権者千四百六十八人中 棄権者三百七十名 無効投票十名なりき



さすがに一日の選挙戦では無理があったか。札幌では現職・中央倶楽部の浅羽氏が当選ということになった。

当日の記事には当選者の横顔についても載っているが、浅羽 靖氏についてのプロフィールをざっくりとまとめると・・・

・安政元年・大阪生まれ
・明治8年(1875年)に大蔵省租税寮十五等出仕と官僚での社会人スタートを切る。順調に昇進
・明治17年(1884年)5月に根室県二等属、7月に収税長心得ということで、税金を取り立てるような仕事をしていたらしい
・明治19年(1886年)根室県廃県により北海道庁理事官となって根室支部・次長となる。そして12月に札幌区長兼札幌郡と他八郡の長となる。このころ、札幌市長にあたる札幌区長は官選で任命制。札幌には区長に任命されて、初めて住むということになったようだ。
・明治20年(1887年)6月、私立北海英語学校の校長に就任。
・明治22年(1889年)5月、内国博覧会の委員長に就任
・明治23年(1890年)1月には財務部取調委員となり、3月に北海道庁第二部長となる
・明治24年(1891年)の4月に退官。実業家に転進
・明治37年(1904年)4月の衆議院議員選挙に札幌区から立候補。初当選を果たす
・明治40年(1907年)に戦役の功により勲四等を受勲。ただ何の戦役かよくわからない?
・明治41年(1908年)の衆議院選挙では札幌区から立候補し再選。
・明治42年(1909年)6月には札幌商工会議所の特別議員となる

という歴史である。

経歴を見るところ、財政に詳しそうだが、記事によれば中央倶楽部の代議士での活動としては「教育家」、つまり北海英語学校(現・北海学園)の創立・経営の経験からの学問育英に議員として取り組んでいたらしい。


では、当日のコラムを読んでみよう。


●閑是非

待ちに待った総選挙もアラ方終了したが 余り平穏無事とも云へぬ
小樽函館根室辺には選挙法違反とか何とか穏やかならぬ風聞がある

△根室選挙区は植別附近出水から交通途絶で全村投票の出来なかった所がある

△夫れが為めに選挙会が二十九日に延びたから 本日中に道選出議員の当選を確定することの出来ぬは遺憾だ

△札幌区の独舞台もチョット横槍がはいったので意外に投票所が賑わった

△がチョットが三百数十票の横槍とはひどくドン腹をねぐったものだ

△開票すると得票には鉄道の役員もあれば大学の教授もある
無効が十票とは驚くでは無いか

△無効投票中には白票三、記名投票や捺印投票や全く字体不明のものさへある

△或は青山将軍浅羽大仏とか阿部宇八とか浅羽君とか 甚だしいのは乞食弥一郎といふのが二票もあった

△随分悪戯をやったものだが 札幌区民中にも貴重な権利行使を斯くの如く玩弄するものありと思へば情けなくなる

△血眼で騒いだは小樽だ
山田派の熱狂に釣り込まれ 高橋派もトチ面棒を振った所は流石に小樽だ

△トウトウ高橋が多数で当選すると 落選の山田派は楽隊附きで練り回る所は面黒いが 亦大いに同情すべき点もある

△函館区は平出対宮島では 元より相撲にならぬ
平出の得票は約三倍とはさもありさうなことだ

△未だ海とも山とも附かぬは函館郡であるが大勢は内山のものらしい
是れも今日あたりは分かる

△根室郡部は敵も見方も共に百余の多数で当選を誇って居るが 夫れでこそ戦争も出来る訳サ

△来る二十日に最終の投票があるから之が天下分け目の関ヶ原戦だといふことだが、其の有権者があまり寡い(すくない)テ

△ドウしても大選挙区を一手に掌握した牧堂の得票驚く勿れ 約四千とは偉い
愈々今日開票だから其の得意や想うべしだ



無効票の中身について書いてある。
明治末にはかなり少なかった無効票であるが、乞食の名前を記すとか・・・

当時、選挙権を持つのは限られた人々。投票できない人間からすれば、せっかくの権利を持っていながら、何ともったい無いこと!と映ったのであろう。

さて、20歳以上なら誰でも選挙権のある今の世。
先人がうらやんだ投票権を行使せず、それでいて時の政府を批判したり。
その身勝手さには、おそらく先人の目にも「権利の玩弄」と映り、「情けなく」思われるであろうなあ。

その衆議院選挙。今年の夏の終わりに言ってた「近いうち」って・・・北海道の冬が始まるのは「近いうち」だけど、ひょっとすると春が先に来るなんてことないよね・・・?


posted by 0engosaku0 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 1912年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック