2012年10月31日

明治末年北海道記20:1912年5月17日サクラ満開の軽川温泉にいらっしゃい

熱い!

といっても気温ではなく、今の札幌はファイターズで熱い。
日本シリーズの真っ最中である。開幕二連敗したファイターズとあって、なんとか北海道としては沈滞ムードを吹き飛ばすいいネタはないものか?と「ジンクス探し」に躍起になっている。

「日本シリーズの期間中に、札幌で初雪が降るとファイターズは日本一になれない」
これがひとつみつけたジンクスだ。そして日本一になった過去2回は、どちらも11月12日が札幌の初雪だ。(1962年、2006年)

今の所、札幌の初雪の可能性は来週にかけて薄い。850hPaで−3℃まで下がらない。来週は異常天候早期警戒情報まで出ている。
日本シリーズ中に札幌の初雪は無いとなると、ファイターズ逆転日本一のジンクスがはまるかもしれない。

このジンクスを発信して以来、ファイターズは2連勝を飾った。五分に戻すとは!いやーすごいすごい。

ということで、今年だけ?はこのジンクス成就を願って、ファイターズを熱烈に応援することにしてみた。

さて、熱い戦いの続く札幌ではあるが落ち葉がふきだまっている。観楓会というには寒くなってきたが、春の花見も震えながらジンギスカンが常だし、同じようなものか?

さて、明治の末の春の話題。今回はそんな花見の広告から見てもらいたい。

1912年(明治45年)5月17日 北海タイムスより

軽川温泉.JPG

サクラが満開なので「花見風呂」で癒されては?という広告。
しかし、札幌・軽川に温泉?ということで、そんなものあっただろうか。と思って調べていると、まず、広告にある光風館を撮影した写真をみつけた。

http://gazo.library.city.sapporo.jp/shiryouDetail/shiryouDetail.php?listId=475&recId=103546&pageId=1&thumPageNo=1

また、北海道立地質研究所報告の81号に「札幌の市街地西部山麓にあった温泉」(藤本和徳氏)というかなり詳しい文献もあって紹介されているのもみつけた。

手稲から円山にかけての札幌西部の山麓にはあちこちに温泉施設があり、今の手稲区富丘6条3丁目に「軽川温泉」はあったとのこと。明治26年(1893年)開業ということだから、この記事ではちょうど20年ほど経ったところである。昭和15年(1940年)まで営業し、その後昭和30年くらいから「手稲温泉」として再出発、20年くらい営業していたとのこと。

今は札樽道のまわりで、緑に埋もれているようだ。

大きな地図で見る

さて。札幌は花見に温泉に・・とレジャー満喫な感じであるが、同じ北海道でもこちらは厳しい自然のキバが剥いていた

同日の北海タイムスより


●常呂の雪責水責

一昨日より暴風なりしが 昨午前より寒気頓(とみ)に加はり十時より雪と変じ小止みなきため又々五、六寸の降雪を見るに至り 一面銀世界と変ず

降雪尚止まざれば 或いは七、八寸の積雪を見るならんといひ居れるが 昨日橇(そり)を使用するを見受たり

湧別・常呂・猿間川 股出水のため交通杜絶 原野に氾濫し浸水家屋多数避難のものあり

今 盛んに増水しつつあれば又々大出水に至らん(十五日常呂電報)



この年、オホーツク海側は5月のはじめにも融雪出水による大洪水が各地を襲い、避難騒ぎとなっていた。5月9日付けの北海タイムスにも空恐ろしい記事が載っている。


▲筏の儘(いかだのまま)海中に流さる

三日常呂村十九号線より佐藤庄之助外三名水害のため交通杜絶せるより 筏にて常呂市街地に到らんとし 別に便乗者二名都合六名にて乗り出したるに 水勢 矢の如く 対岸に寄り附くを得ず はや海中に押し流されんとするより

内二名は死を決して渦巻く河中に飛び込み 漸く常呂橋下にて救助されしが残る四名は遂に海中に流され 激浪のために危く溺死を遂げんとしたるが 救助船のために引揚げられ 二名は生命危篤なりと

(四日午後四時五十分網走発電)


常呂は度重なる雪融け水による災害に加え、厳しい寒の戻りもあり、辛い5月となっていたようだ。

再び札幌に目を戻す。当時、春の札幌は勝負の季節。小学校の運動会が開催されていた。


西創成運動会

西創成小学校の運動会は予報の如く 昨日午前八時から大通の草原に開催
運動会は周囲に縄を張り 来賓席には幕を回し 小旗が高く風邪に動き 元気に充ちた一千の児童は三発の煙花を合図に一同校長のお話を聞きし後 唱歌を合唱し 直ぐに遊戯を始め 男生は皆着物を脱ぎ白シャツとなり徒競争、友さがし、騎馬競争 障害物競走 隋道(トンネル)と峠 二人三脚 札拾いと遊戯は順次に進行し リボンと白い前垂の女生も活発に走り廻り 北の方の隅には紙旗を打振る無邪気な野次あり

各級各組の声援 四方から盛んに起こり 嬉々とする声賑やかにして 運動場の周囲は人山を築き 遊戯は午前と午後八十五回

尋常科の児童が男女合併で大きい輪を作り 小さい掌を打ちながら 旭にヒバリや浦島太郎の遊戯は殊に嬉かりし



トンネルと峠というのは、馬飛び&馬くぐりみたいなものであろうか??

春の運動会、秋の日本シリーズ。
今も昔も、熱い勝負で札幌は湧いていたというわけであった。

posted by 0engosaku0 at 23:20 | TrackBack(0) | 1912年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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