2012年11月14日

樺太日記48:1912年5月16日日本蓄音機商会が大泊進出

いろいろと変わろうとしている。
今年の11月15日前後というのは、ひとつの転換点なのかもしれない。

非常に遅れていた雪の季節。札幌は昨年11月14日の初雪は85年ぶりの遅い記録であったが、まさか2年続けて初雪の遅い記録が塗り変わろうとは思わなかった。
早くて日付が変わってあと数時間、遅くとも18日には札幌にも雪が舞う。122年ぶりの遅い初雪となるはずだ。

北海道が雪の季節に入るのと同時に、政治の世界も大きく勢力が変わりそう。
日本の首領である野田首相は衆議院を解散し、総選挙に入ると言い出した。

雪が大地に根付く頃には新しい政権が生まれ、国の進路も大きく変わるのだろうか???

さて100年前の春である。
明治から大正の初めにかけて世の中にはたくさんの発明があり、暮らしは飛躍的に便利になっていった。

刀で斬り合っていた時代からまだ50年も経っていないのである。
しかし北海道にも樺太にも電灯がつき、電話がついた。鉄道ものびた。暮らしは大きく変わっていた。

そして娯楽にも、大きな変化が生まれていた。

音楽である。

仲間内でワイワイ歌うような歌ではない。レコードで音楽を聴く時代。
それが、明治末にはこの樺太にもやってきていたのだ。

小さい記事だが、大きな驚きでもある。

1912年(明治45年)5月16日 樺太日日新聞


●蓄音機商会出張所

日本蓄音機商会は去三月中 社員を本嶋に派し 其出張販売好成績を挙げたるより 今回大泊町に其出張所を開設すべく小樽支店主は 尾崎仁三郎氏 江口清一郎氏を伴ふて来島 諸般の準備中なるが 元来は栄町方面に開業の筈なるも 現下の状勢上 豊原方面華客に便せんとて 本日より楠渓町停車場前に仮出張所を開業するに決し 江口氏主任たるべしと



日本蓄音機商会は、今の社名は「日本コロムビア」である。

日本で最初のレコード会社として有名であるが、設立は1910年(明治43年)10月だから、この記事のわずか一年半前である。
今でも会社ができて、一年半で日本の最北の地に店を構えるなど、相当な勢いがなければできないであろう。しかも明治時代である。その成長性というのがうかがえる。

すでに蓄音機が樺太に何台かあったのか?3月の出張販売の好成績が出張所開設の決め手となったということであるが、樺太に住む人たちも蓄音機で音楽を聴くという娯楽が既に根付いているのにも驚かされる。本当に小さい記事だが、このような驚きがあるから古新聞はやめられない(笑)

樺太に出来た出張所から、日本初の国産蓄音機「ニッポノホン」が樺太の店や家庭に出回って、落語や長唄、クラシックなどを聴いていたのだろうか。。。

あれから100年。レコードはメモリーに置き換わり、すっかり携帯端末で聞くものと化した。

次の100年はどう進化するのだろうか・・・


一方で、100年経っても変わらない?人々の模様も載せておく


大泊市井雑事
△馬を拾ふ
貝塚村農民 柴田清丸は去る十二日 三の澤建網漁場の干場にて青毛の牡馬一頭を拾得して支庁警務係に届出つ

△焚火の罪
本町東一条南二丁目福岡ソノは隣家の音吉所有宅地内にて不注意にも山積せる塵芥へ火を点し 焼棄せんとしたるが 人家過密の所に於て みだりに危険なる焚火を為ししたる罪により科料一円に処断さる

△是も同じ
本町大通南三丁目古物商永井ソヨは十日午後二時頃 自宅裏手にて塵芥に火を点じたるを現認されて前同断一円の科料

△路で小便
同じく同一条南三丁目吉田キヨは十二日午後三時四十分 同十一番地の地先街路の真中へ三歳になる女児に小便をなさしめたる科により金三十銭の科料



ごみ収集というものの発達していない時代、ごみを自分の家で焼こうとして捕まっている人が多かったようだ。
子供にオシッコさせて罰金とは、これまたなんとも・・・今も昔も見逃してやってほしいが、そうもいかないか。


posted by 0engosaku0 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック