2012年11月30日

1972年12月1日〜5日 稚内湿雪大停電=後編=

11月30日午後1時10分。登別市の停電戸数はゼロとなり、その後壮瞥町などの停電も解消。今回の暴風雪災害での胆振大停電は一応の解決をみた。

約100時間ほどにわたる大停電は、おそらく室蘭・登別市民にはずーっと記憶に残るはずである。
なぜなら40年前、四日四晩にわたった稚内の大停電も、稚内の人にとっては今なお語り草だからである。

前回は停電のはじまりから二日目を迎えるまでを紹介した。
今回は復旧までの記事を読んでいく。

1972年(昭和47年)12月3日 北海道新聞朝刊

早く光と熱を・・・
つかぬ送電のメド 不安に追い打ち食料品値上がり

【稚内】突然の暴れん坊低気圧に急襲された道北地方は二日も国鉄、国道が各所でズタズタ。送電線は無残に切断され、各村町村は全く「死のマチ」と化した。いつ正常に戻るかわからない暗黒と寒さの中で、住民たちは二晩目の不安な夜を過ごした。そのうえ、日常生活に欠かせない生鮮食料品もジリジリと値上がりの気配をみせており、「早く光りと熱を・・・」と"冬はやて"が吹きすさぷ中で身を寄せ合って一刻も早い復旧を祈っている。

 スケソウダラのシーズンを迎え、活況に満ちているはずのさい果てのマチ・稚内は二日も一日中マチの機能が停止。二晩目の夜を迎えても、電気も国鉄も鉄道も復旧のメドが立たず、市民は蓄えのロウソクも次第に底をついて真っ暗な中で早々と床についた。
 
ほとんどの家が電気利用の石油ストーブに切り替えているだけに、停電は暖房もストップさせた。プロパンガス店では、電動ボンベ充てん機が使用できず、炊事用プロパンガスが切れた家庭も続出している。身を切る寒さのうえ、夕食の支度もできない家もあった。
 一方、商店街は夕暮れと同時に早々と店仕舞い。いつもはにぎやかな飲食店街も火の消えた街となった。

 日本海はスケソウダラの盛漁期にはいり、街は先月下旬ごろから活況を呈していた。
稚内市内の冷凍庫、冷蔵庫の中には鮮魚や加工品がいっぱいだが、三日午前中が貯蔵の限度という。
「明日以降は、腐敗するものも出るので廃棄の事態も・・・」と、水産業者は深刻な表情だ。

 国鉄の寸断で貨車輸送に頼る鮮食、冷凍魚類は一日発送分の十一車、百二十dが貨車積みされたまま駅構内でストップしている。
業者は「トラック、海上輸送もダメ。いったいいつになったら復旧するのか」と怒りの声さえあげている。

 停電地域は、宗谷、留萌、網走、上川の十一市町村にのぼっている。道北一帯の電力は、雨竜発電所からの送電幹線で供給されているが、一日の激しい暴風雪で幹線鉄塔はいたるところで倒壊。木柱は立っている方が珍しいくらいズタズタに倒れている。
 ベタ雪が送電線にからみつき、電線はまるで雪だんごの連続のような姿。そこへ三十b前後の強風が吹き荒れ、電線はあちこちでひとたまりもなく切断した。

 北電では、留萌、名寄駐とん地の自衛隊員の応援を得て、人海作戦で復旧に全力投球しているが、人里離れた現場も多く、三日夜からの通電も可能かどうかわからない状態だという。
 北電稚内営業所では、「こんなひどい被害は初めて」と次々に入る苦情電話の応接にも力ない。

 こうした情勢から、生鮮食料品もジリジリと値上げの気配をみせており、二日夕には稚内市内で鶏卵一個二十円と、平常より二円アップした店が早くも出た。

 このままだと野菜などの大幅値上げも避けられないといわれ、庶民たちは「こんな死のマチのようになったうえ、食料品まで値上げされては・・・」と暗黒と冷気の中で不安な時を送っている。



北電では3日には1200人の作業員を送って復旧に全力を挙げた。
しかし、この日の時点で高圧送電線の鉄塔が49基も倒れていることがわかり、早期の復旧は絶望的な状況であった。
稚内に到着した電源車はわずかに一台。この一台の電源は、上水道のポンプアップなど緊急用電源にしようされたのみであった。

一年で最も昼の短い12月。しかも北海道の中でも最も日の短い稚内。三回目の暗黒の長い夜を前に市民の精神状況は既に限界に達していた。

1972年(昭和47年)12月4日 北海道新聞朝刊


まだ停電−怒る市民(稚内)
底をつくロウソク 生活に、生産に、深刻な打撃

【稚内】台風型の大暴れ低気圧の直撃を受けて三日目を迎えた三日の稚内市内は、荒れ狂った一日の空がウソのように晴れ上がった。しかし、最果てのマチに早い夕暮れが訪れると、一転して市内はまたまた暗ヤミに沈んだ。一日のばしに連続三日三晩の暗黒生活。「今夜こそ・・・」という期待もあっさり裏切られ、忍耐の限界に達した市民は「どうした北電、いつになったら電気がつくんだ」と怒りを爆発させていた。

 停電の影響をまともに受け続けているのは市内の八割の家庭が使用している石油ストープ。ファンが作動しないため自然通気を利用して暖をとっているが、火勢が弱く、部屋全体を暖めるのはとうてい無理。各家庭ともロウソクの明かりの下でストーブを抱きかかえるように暖をとり、遅々として進まない復旧作業にイライラはこうずるはかり。

 ロウソク不足も深刻だ。市内の雑貨店では何年もタナの上に上がったままだったロウソクが、二日夜、完全に底をつき、備えのロウソクを二晩で使い果たした家庭は、知り合いをたよりに走り回るみじめさ。このため、市対策本部は札幌から二千本のロウソクとトラック一台分の乾電池をかき集め、ロウソクが切れた家庭に町内会を通じて配ったが、たちまち底をつき、三日夜にはその細々としたロウソクの炎からも見捨てられる家庭が続出した。

 市内の水産加工場、商店、飲食店街も三日続きの停電に大きな打撃を受けている。とくにナマ魚を扱う水産加工場の冷蔵庫、冷凍庫も三日目を迎えて、貯蔵能力も限界。
「鮮度は落ちっ放し。だれが損失補償してくれるのか。こうなったら北電を訴える以外に手はない」と不満をぶちまける。

 このほかプロパンガス販売会社では電動機のストップで、ボンベ詰め替えが出来ず、食事の支度が出来なくなった家庭も・・・。灯油販売店では従業員が手動ポンプを回し、家庭に配る灯油のかん詰めに汗だく。油そう所から積み出しが出来ず「このままでは地下のタンクが底をついてしまう」と、業者はメーカーの出荷調整に続いてのダブルパンチに頭を痛めている。

 このようななかで、三日も十万ボルトの送電線一本を架設する工事が旭川、留萌、名寄陸上自衛隊の協力で進められたが、北電稚内営業所の話によると「送電は早くとも四日夜になりそう」というスローテンポだ。このため市と宗谷支庁はそれぞれ独自の災害対策本部を三日設置、ようやく善後策に本腰を入れて取り組む姿勢を打ち出したが、電気の場合、架設工事終了後も市内の電力不足が続くところから、当分午後三時から午後八時までの五時間は市内の一般家庭だけが使用し、水産加工場はこの間、操業を完全に休止することを業者との間で申し合わせた。

 一方、国鉄はこの日午前十一時五十分、急行天北代行のバスを名寄まで片道運行、天北線の稚内−曲淵(同市内)間に旅客列車を一本ようやく走らせただけというお粗末さ。
 さらに郵便物も三日から一週間遅れの渋滞ぶりで"陸の孤島"をしいられた最北のマチ・稚内は文字通り非常事態下に沈み、いつもの水産都市の活気はミジンもみられないやつれようだ。



ついに怒り出す市民も現れた。
3日の最低気温は-0.2℃。4日の最低気温は1.4℃。
風の強い町だけに、強い冷え込みはないものの、師走なだけに空気に暖かさなどない。
昔の家だから、部屋もなかなか温まらなかった。

そして4日目の夜が過ぎ、5日目の朝がやってきた。

電気のない暮らしが5日に及ぶ中、新たな危険が迫る。

1972年(昭和47年)12月5日 北海道新聞夕刊

爆発、流出の恐れ
稚内 冷凍用のアンモニア

 【稚内】五日間続いた停電のため、稚内市内の冷凍工場が使用しているアンモニア液がパイプの中で徐々に気化し、パイプ内の気圧があがって管外にもれ出す危険が出てきた。

 一日昼過ぎからの暴風雪による停電で操業中だった市内四十五の冷凍工場の冷凍機械が一斉にストップした。このため冷凍用のアンモニア液が冷凍庫のパイプの中に停滞、気圧装置も作動しないまま、五日間に管内の気圧がしだいに上昇、運転時には最高でも一`ほどの気圧がすでに三`にまで上昇した。

パイプはいずれも八`の気圧まで耐えられるように作られているが、古い工場では五日昼過ぎからパイプの継ぎ目などからアンモニアがもれ出す恐れが出てきた。

 もし停電が北電が通電を予定している六日夕を過ぎても続くと、パイプ内の気圧がさらに上がり、パイプが爆発することも予想される。大規模工場では約二百`のアンモニアを使用しており、これが爆発、流出すると住民が退避しなければならない事態も起こりかねないと、各工場ではいずれも緊張している。
 しかしパイプ内の気圧を下げるには停電の解消以外にはないため、市消防本部も「万が一もれ出したら大変」と五日午後、全冷凍工場の実態調査を始めた。


アンモニア爆発という危険が現れてきたのであった。

5日には復旧作業にあたる職員は、自衛隊と北電職員などあわせて2000人に達していた。
しかし雪の中の作業ということで作業は難航。それでも5日夜中には幹線送電線は復旧できる見通しが生まれつつあった。

そして待望のその時がやってくる。

1972年12月6日午前3時41分



やっと電灯がついた
稚内地方 五日ぶり街に活気

【稚内】六日午前三時四十一分−北電稚内変電所が五日ぶりに受電、同四十四分から四十九分にかけ、稚内市内十一回戦のスイッチが次々と押され、暗黒のマチに電灯がともっていった。長くていらだたしい、稚内はじまって以来の停電記録にもやっと終止符が打たれた。

 北電稚内営業所の広報車が早朝から稚内市内を巡回した。「長らくご不自由をおかけしていましたが、きょう午前四時から送電を開始いたしました」
一日夜から炊事さえ満足にできず、五日間も暗黒の生活を強制され「けさは家族になにを食べさせたらよいものやら」と心を重くしていた主婦たちの表情がばっと明るくなった。

 臨休、そうでなければ午前授業で打ち切りになっていた小、中学生たちも、六日はにこにこしながら登校、教室は久しぶりに元気のよい歓声でつつまれた。

 稚内の経済を支える水産加工場もいっせいに操業を開始した。冷凍庫はアンモニアガスの圧力が急上昇、鉄の太い冷却管が爆発寸前の状態に追い込まれるという、危険状態からようやく脱出した喜びでひとしお。しかし、冷凍庫内の温度は五日ですでに十度前後上がっているため、在庫品が腐敗しているのでは−と心配。

 すり身、冷凍、冷蔵など水産加工場が生きかえると、これまで紋別や留萌、小樽などへスケソを陸揚げ、買いたたかれていた稚内経済の原動力、七十隻余りの底引き漁船も稚内港に帰ってくる。
 商工関係者も大喜び。これからは歳末商戦で体制を立て直して、と張り切っている。

 天塩、遠別、幌延、豊富なども稚内市同様、周辺部の一部部落を除いて通電した。

暗黒の百十時間

 道北大停電は、六日午前三時四十一分、稚内地方に通じる基幹送電線の稚内線が仮復旧したことにより、一応ピリオドが打たれたが、北電は六日、その被害状況などをまとめた。それによると稚内市を中心とした停電は一日午後零時十一分に始まり、約百十一時間に及んだ。送電線鉄塔の倒壊数は五十九基、停電戸数は道東と合わせると最高時で十万一千百戸と全道家庭供給戸数の一〇%近くにのぼり、いずれも北電始まって以来の規模とわかった。
六日正午現在、まだ稚内市郊外、宗谷管内猿払村など停電戸数は九千四百二十戸残っているが、七日にかけて解消する予定という。

 北電本店の調べによると、送電、配電関係の被害は道北だけで送電線鉄塔五十九基倒壊のほか、配電柱の倒壊三千八百本、折損千二百本、傾斜一万二千本、断線一万四千ヵ所となり、総被害額は約十億円と見込まれている。
 繰り出した復旧作業員は、自衛隊の応援を含め、北電社員、工事業者など延べ約一万人。

 北電は停電が長引いた理由として「吹雪にさまたげられ、初動の事故掌握体制が思うように出来ず、被害状況のキャッチが遅れた」ことをあげているが、技術的には、いままで道北地方では例のない湿雪に見舞われ、送電線に雪が張りつき、過重な張力に耐えきれなくなって、切断、倒壊が発生した、といっている。

送電線鉄塔は一b当たり一・五キログラムの加重が限度に設計されているが、今回の場合、雪が凍って直径十八aの送電線が二十五aに太ってしまったことにより、基準の三倍にあたる四・五キログラムの重量となり、これが倒壊、切断につながった、という説明だ。
 現在、仮復旧として、木柱による代替の送電塔を建設したが、このままでは、同様規模の風雪が襲った場合、再び停電が起きる恐れがある。このため、近く、支線を取り付けるなど強化するが、本復旧は来春。

 北電では本復旧の際、現在、室蘭、函館、釧路など湿雪地帯で採用している、雪を振り落とす装置のついた軟着雪電線を取り付けるとともに配電線も、同様に雪のつかない電線に取り替えたいといっている。
<1972年(昭和47年)12月6日北海道新聞:夕刊>


110時間余り続いた稚内の「原始生活」はついに終わりを迎えた。

稚内市民の中には、電気がついて家族みんなで拍手したとかバンザイをしたというような話も多い。
まさに待ちに待った電気の復活であった。

この大停電を教訓に、北電によって「難着雪リング」が開発され、必要以上に電線がねじられるのを防止する「ねじれ防止ダンバ」とあわせて送電線に取り付けられることにより、このような長時間停電事故というのは、その後40年の間、ほとんど起きなかった。

しかし、人智を自然は超える。ということは今回改めて教えられた気がする。

そして56基の送電線鉄塔倒壊に対して仮設電柱で復旧にこぎつけるまえ110時間。
これは今回の室蘭で1基の送電線鉄塔倒壊に対して復旧にかかった時間(約100時間)を考えると、相当なスピードを持って当時の北電は事に対処したことが浮き彫りである。

やはり「想定外」という事態を減らし、さまざまな災害に対するシミュレーションをしておくこと。

施設というハードの強化より、事態に対処するソフトの強化、というのが今後の気象災害に対応する上では非常に大切なことと思うのであった。

posted by 0engosaku0 at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道気象史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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