本日満開となった気象台のソメイヨシノ。29年ぶりの遅い記録である。
ただ、この29年の間に札幌の標本木は変わった。
長年、北海道神宮に札幌の標本木はあったが、老樹となって花つきが悪くなってきたため、気象台構内の若い木に標本木の座を譲った。まだ2年くらいだろうか。
本日、北海道神宮の旧標本木の様子を見に行った。
北海道神宮のサクラもかなり咲き出しており、満開の木もあって、花見客がお弁当食べたりしていたが、、、旧標本木の2本はほとんど花をつけておらず、つぼみの状態。
ああ、これなら札幌を代表するとはいえないなと納得するとともに、なんだか少し辛いような寂しいような、なんともいえない気持ちとなった。
さて北海道神宮は1964年までは「札幌神社」という名前であった。神宮に昇格したのは明治天皇を合祀したことによる。その明治天皇の治世最後となる1912年の初夏。今と同じように6月は「札幌まつり」であった。
1912年(明治45年)6月13日 北海タイムス
●萬燈輝く宵宮祭 全市明夜の壮観
▽お祭お祭
待ちに待たれし一年一度の大祭も 愈々明日より宵宮
山車の小屋の山車は朝から夕迄 坊ちゃん方にとりまかれて揺ぎ出し さうなる景気 市中の大店小店も大奮発の勢い凄まじい位
車屋を始め往さ来さの人の気配も上調子のピンをしたる有様ところはなったりける
▽緑門電燈
停車場前に建立されつつある大緑門(だい・あーち)の柱立やら ちょうど咲く円の行啓奉迎門を思ひ出されて出来上がったらさぞかしと それが待遠い程なり イルミネーションも壮観を極るべし 停車場通り北一条には五千燭光の太陽燈が北極光宜しく不断の光輝を放つなど 明日の宵宮から幌都一瞬 化して竜宮城ともなりぬべし
これは、宵宮を待ちきれない市民を代表した?記者による記事といったところか。
今ならきらびやかなイルミネーションを「竜宮城」とたとえはしないだろう。
さて、お祭りの光景について
1912年(明治45年)6月17日 北海タイムス
▽宵宮光景
十四日夜は午後に入り物凄き雷鳴 盆を傾むくる降雨ありしが 夕刻より幸いに晴れ渡り 辻々には新燈アーク燈イルミネーション点せられ 区内各戸の軒 提灯電燈イルミネーションにて 不夜城の美観を呈し 創成河畔 狸小路等非常の人出なりし
▽本祭光景
一昨十五日は幸いに雨降らず くっきょうの祭り日和
第二区年番委員八十名外 各祭典区代表委員三十余名 円山神社に到着 神輿の出御式あり
一同厳粛にて正門より下山 南一条 三吉神社に着御 各祭典区の山車はいずれも午前十時頃より三吉神社に集合休憩後 午後一時三十分出発 西七、八丁目より北一条西十三丁目角より北五条へ出て 道庁前より北一条停車場通りへ 拓銀角より区役所前を経て創成川端へ出て 同窓倶楽部にて少憩後 北三条西五丁目より鉱山監督署前へ 夫より停車場裏通り 北八、九条を経て創成川を渡り 十二区旧御旅所に少憩 製麻会社側を元村通りへ 夫より製麻南裏より北三条苗穂通り区境界まで出て 東橋道路を東一丁目より同創成川端を南一条通頓宮まで練りて 同夜はここに神輿御旅する事となりたり
▽区内光景
停車場通り及び南一条通りは殊に美しく飾り 丸井丸三両呉服店の変色電気 殊に人目を惹けり
各所陳列の生花も 奥さん嬢さん連を引けり
▽花柳景況
各料理店は宵宮祭りより活気立ち 三見番芸妓連 何れもお座敷に忙しく 祭典当て込みの一本昇進芸者は 札幌見番君子、与太郎、とし子、喜太郎、小萩の五妓
元見番の美形君子 今月より半玉となりしは札見君の妹牡丹寺尾抱えのまもる、元見にては金作改め金太郎、琴治町見番は異動なきが一昨十五日の花柳界は昼夜間断なく各料理店繁盛を極め 夜に入りては一層にて
三百に近き芸妓連は眼の廻る程 お座敷がかかりたりと
▽薄野光景
仲の町通りは勿論 三等妓楼通り何れも紅白のえん幕、軒提灯を吊るしたる様美しく 中にも昇月楼田中は昨日は昼祭典の休憩所とて門外右側に人足休憩所の掛小屋をなし 尚本年は他楼に先立ち数千円を投じて客座敷の大建築をなし 落成したるより宵宮に座敷開きをなしたりと
その他の大離高砂、西花、長谷川、北越の各楼も新妓の仕入れ座敷の修築をなしたるより、十四、十五、十六の三日間は夜に入り電燈軒提灯にて不夜城に化し 何れも昨年より盛況なりしと
▽興業景況
薄野廓内なる大黒座の新派 稲葉石山合同大一座は勿論 南七条の札幌座は萩野千十郎、澤村源若、中村播之助大一座にて何れも好況大入なりし
又狸小路は十五日夜は相応の人出なり
第二神田館の常設活動は昼は可なり夜は〆切、遊楽館、南亭、札幌館、何れも満員(因に西九丁目西遊館も盛況)を呈し
創成河畔は一層非常の人出
南一条矢野動物園より満州観戦鉄道まで 南五條まで連続二十本の掛小屋あり
活動写真、木暮の軽業、剣舞、大狼等珍しき興行物多く 夜は十二時までありし
因みに旧警察署前 自転車曲乗り曲馬大会も盛況
神輿が練り、創成川には露店や小屋が並ぶ。夜は芸者遊びに観劇・映画でススキノはおおにぎわいと、年に一度の札幌祭りをおおいに楽しむ札幌区民であった。
さて14日は突然の雷雨にびっくりということであったが、当時の気象記録を見ると、午前11時55分に西の方角で雷鳴が聞こえ始め、午後0時30分に最初の雷電が一発。午後0時39分には強烈な雷電による一撃(方角は北北西)があった模様である。
午後1時7分までこの北西の方角に雷鳴が聞こえていたが、その後は午後2時頃にかけて南西の方角でずっとゴロゴロいっており、午後2時9分に再び強烈な雷電が南東の方角で一撃を見舞い、午後2時44分を最後に終了。
積乱雲が次第に発生源を南下させているようなので、前線か何かが通ったのだろうか。
ただ、風向きは午後2時〜4時が北寄りでそのほかは南〜南東なので、やはり夏らしい不安定性降雨。雷雲だったのかもしれない。
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