2019年11月24日

明治末年北海道記48:1912年6月26日 札幌中学校のマラソン競争

改めてブログを見返してみて、北海道モノの特集が未完気味となっていることに気がついた。
少なくとも明治の出来事の掘り起こしは終わらせておいた方がよいかなと思い、約6年半ぶりに記事を追加するものである。

今回とりあげるのは、札幌中学校のマラソン競争である。
北海道で、いつから長距離競争をマラソンと呼ぶようになったのかは定かではないが、そもそもマラソン競技自体が1896年のアテネ五輪から始まっていることを考えると、言葉の取入れとしては非常に早いと思う。(日本初のマラソン大会は1909年とのこと)

それでは記事を読んでみよう。

1912年(明治45年)6月27日 北海タイムスより
●札幌中学校のマラソン競争

北十三条札幌中学校にて開催せる 勇壮なるマラソン競争は 昨二十六日を以て盛大に挙行したり

同日は登校生徒六百余名 朝来 大通西十一丁目に集合し 午前九時十五分 六百の健児は勇ましく西十一丁目を出発し それより北五条を左折して第一関門より円山神社下通の第二関門 発寒橋上の第三関門、手稲橋上の第四関門を経て 各関に衛生隊あり

競争者は自己の名刺を茲に差出しつつ通過し 軽川光風館前に至って決勝線あり 山田校長以下 各審判員 ここに控へたり

競争者は札幌区内にて服装を乱るを許さず 全く郊外に出でてより上衣を脱する者多く 折からの疾風に玉なす汗を拂はせつつ 七哩の距離を疾駆して 第一着は四年 堰八(四十二分十二秒)△第二着 三年 高橋(四十二分四十三秒) △第三着 四年 纐纈(四十四分三十秒) △第四着 四年 種本(四十四分三十八秒)△第五着 四年 竹原(四十四分五十秒) △第六着 一年 小林(四十五分) △第七着 五年 田村(四十五分二十秒) △第八着 四年 吉川(四十六分) △第九着 二年 飛島(四十六分十二秒) △第十着 三年 谷(四十六分十七秒)

以下 第二十着まで夫々 審査の上 賞与を授け 最後に職員に率られて来着せし殿軍の一隊は 初め競争に加はるを得ざる者三十名ばかりなりしが 途中落伍者を収容しつつ総員百名ばかりとなり 一時間十分にして到着したり

一行に其所にて紅白餅の供応に有り付き 暫く休憩の後ち 午後零時 夫々帰校の途に就きたり

明治45年の札幌中学校のマラソン大会を、現在たどるとするならば、大通西11丁目から石山通りをまっすぐ北上、北5条通りを東に折れて、北4条西24丁目の交差点を右に折れて、そのまま旧国道5号をまっすぐ琴似、西町、宮の沢と走り抜け、富丘の”手稲温泉ほのか”の先の交差点を左に折れて、札樽自動車道の高架下をくぐるとゴールという形になる。

19120626札幌中マラソン1.jpg
▲大正5年の札幌の地図に落とした札幌中の位置とマラソンのスタート位置

距離は7マイルということだから、約11qであるが、砂利道と靴を考えるとこれを約42分で走り抜けるというのはなかなか速い。

中央気象台月報で当時の札幌の気象状況を調べると、曇り空ながらも雲には多少隙間があり、気温は22℃前後、風は南東の風がやや強いという状況。手稲に向かって走るには追い風となり、日差しも少なく、気温も高くなくといったところで、非常によいコンディションだったことであろう。

札幌中学校の生徒がマラソン競争をしてから108年。まさか東京五輪のマラソン競争が札幌で行われることになるとは・・・!
posted by 0engosaku0 at 15:25| Comment(0) | 1912年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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