今朝は夜勤明け。北海道は全般に晴れており、注意報も濃霧が散発しただけ。穏やかな夜勤でよかったよかった。
さて、今朝3時の地上天気図を見ると、北海道は大きな移動性高気圧の圏内。本州方面には秋雨前線がかかっていて、沖縄の南東には台風13号。すっかり秋の天気図に変わった。
高層の天気図をみると、オホーツク海北部には上空5000m付近で-33度以下という、北海道ならば真冬の寒気が入っている。
地上実況を調べてみると、サハリンではポロナイスク(敷香)やユジノサハリンスク(豊原)など軒並み気温が3度前後でおそらく広い範囲で初霜となったはずだ。
さらに、北東シベリア中部のヤクーツクでは過去1時間以内に雪との入電で、北からは冬も着実に南下を始めているようだ。
2006年09月13日
2006年12月23日
苫小牧にやっと雪が積もった
珍しく、今年は気象庁の長期予報が当たっているようだ。
11月下旬の札幌管区の人の話では、エルニーニョの発生から、統計的に北海道では雪が降りにくい傾向があるため、基本的には雪は少なめで、時折ドカ雪というパターンではないかということだったが、今冬は苫小牧で12月下旬に入るまで全く雪が積もらず、1947年以降では初めての事態となっていた。
今日は北海道南岸を低気圧が通過し、苫小牧で短いながらも降水があるのは確実であった。ただ、苫小牧の場合は南風が少しでも強まると、海上の暖気の影響で真冬でも市街地は雨になってしまう。
このため雪・雨判別は、予報士試験でも出るような850hPaで-3度だけではなく、地上風速と950hPaの気温の予想を加えて行うが、昨夜の予測資料では若干の南風と950hPa面でプラスの気温が予想されていた。このため、なんとか湿った雪で降りそうだが、雨まじりで積もるかどうか難しいところだった。
結局、今日は「1cm」だったが雪が積もった。
12月23日にして初めての積雪。ここ60年間で最も遅い雪となった。何とかクリスマスには間に合ったといったところか。
11月下旬の札幌管区の人の話では、エルニーニョの発生から、統計的に北海道では雪が降りにくい傾向があるため、基本的には雪は少なめで、時折ドカ雪というパターンではないかということだったが、今冬は苫小牧で12月下旬に入るまで全く雪が積もらず、1947年以降では初めての事態となっていた。
今日は北海道南岸を低気圧が通過し、苫小牧で短いながらも降水があるのは確実であった。ただ、苫小牧の場合は南風が少しでも強まると、海上の暖気の影響で真冬でも市街地は雨になってしまう。
このため雪・雨判別は、予報士試験でも出るような850hPaで-3度だけではなく、地上風速と950hPaの気温の予想を加えて行うが、昨夜の予測資料では若干の南風と950hPa面でプラスの気温が予想されていた。このため、なんとか湿った雪で降りそうだが、雨まじりで積もるかどうか難しいところだった。
結局、今日は「1cm」だったが雪が積もった。
12月23日にして初めての積雪。ここ60年間で最も遅い雪となった。何とかクリスマスには間に合ったといったところか。
2006年12月31日
佐呂間で100cmのダメ押し
12月27日から29日にかけて北海道南東海上を通過した台風並みの低気圧の影響でオホーツク海側は大雪が続いた。27日7時の降り始めから29日23時までの降雪量を出すと、またあの地名が浮かび上がってきた。
佐呂間である。
2006年の北海道の気象シーンを振り返る上で、「佐呂間」を抜きには語れない。今年は本当に異常だった道内の中でも、佐呂間は象徴的な地点となった。
思い出されるのは11月7日13時30分頃の竜巻。詳しい解析は先日やっと気象庁から発表されたが、戦後最悪の死者9人。第一報を聞いたのは13時50分頃で、寒冷前線通過といっても竜巻とはまた大げさなと思ったものだが、すぐに別のルートから死人が出ているらしいとの情報で、血の気が引いたのを思い出す。
竜巻ばかりがクローズアップされるが、その一ヶ月前の10月6日から8日にかけては、あの台風2つを食って発達した温帯低気圧の通過で24時間降水量が182ミリと年間史上最高記録を更新、牧草ロールがいくつもサロマ湖に浮かんだ。このほか、8月にも8年ぶりの大雨が降っている。
竜巻の後もシムシル島沖地震の津波で佐呂間にも史上初めて津波警報が出た。
そしてサンマがサロマ湖の岸辺を埋め尽くし、冬を迎えた。今年は低気圧が発達しながら通過することが例年より多くなるとの予想で、ドカ雪に再三見舞われる可能性があるとは事あるごとに警告していたところだったが、よりによってまた佐呂間に行くとはね・・・。最後の最後にとどめを刺した感じ。
佐呂間の降雪量は100cm。遠軽が96cmで西興部が90cm。オホーツク海側の降雪量が3日間で1mに達するのは2004年の「100年に1回」豪雪以来。100年に1回が2年ぶりとは。来年こそは、佐呂間では穏やかな年になってもらいたいものです。
佐呂間である。
2006年の北海道の気象シーンを振り返る上で、「佐呂間」を抜きには語れない。今年は本当に異常だった道内の中でも、佐呂間は象徴的な地点となった。
思い出されるのは11月7日13時30分頃の竜巻。詳しい解析は先日やっと気象庁から発表されたが、戦後最悪の死者9人。第一報を聞いたのは13時50分頃で、寒冷前線通過といっても竜巻とはまた大げさなと思ったものだが、すぐに別のルートから死人が出ているらしいとの情報で、血の気が引いたのを思い出す。
竜巻ばかりがクローズアップされるが、その一ヶ月前の10月6日から8日にかけては、あの台風2つを食って発達した温帯低気圧の通過で24時間降水量が182ミリと年間史上最高記録を更新、牧草ロールがいくつもサロマ湖に浮かんだ。このほか、8月にも8年ぶりの大雨が降っている。
竜巻の後もシムシル島沖地震の津波で佐呂間にも史上初めて津波警報が出た。
そしてサンマがサロマ湖の岸辺を埋め尽くし、冬を迎えた。今年は低気圧が発達しながら通過することが例年より多くなるとの予想で、ドカ雪に再三見舞われる可能性があるとは事あるごとに警告していたところだったが、よりによってまた佐呂間に行くとはね・・・。最後の最後にとどめを刺した感じ。
佐呂間の降雪量は100cm。遠軽が96cmで西興部が90cm。オホーツク海側の降雪量が3日間で1mに達するのは2004年の「100年に1回」豪雪以来。100年に1回が2年ぶりとは。来年こそは、佐呂間では穏やかな年になってもらいたいものです。
旭川はひょっとすると記録的な少雪大晦日
佐呂間のように雪の多いところあれば、逆に雪の少ないところもある。佐呂間の隣、遠軽町を西に向かい北見峠を越えると上川地方。上川の中心都市、旭川は記録的に雪の少ない大晦日を迎えつつある。
31日1時の旭川の積雪は16cm。平年は47cmだから三分の一くらいか。
過去のデータをさかのぼってみると、大晦日の旭川の積雪は1961年以降では20cmが最少で、20cmを切った状態で年を越したことはない。細かく見ると、1979年は30日に17cmだったから状況的には今年と似ているが、大晦日に7cmの降雪があり、最終的には20cmに達して新年を迎えている。
したがって、このまま10cm台で新年を迎えるとなると、旭川ではかなり異常なことだ。
1960年以前のデータは月別しか手元に無いので正確なことは旭川地台に聞かなくてはならないが、1917年の12月は最深積雪が16センチなので、仮にこれ以来とすれば89年ぶりの事態ということになる。
気象台予報では大晦日の天気は曇り昼前まで時々雪。850寒気が強いので、実際は午後もちらつく状況は続くとみるが、積もるのは午前中が勝負。どうなるであろうか?
31日1時の旭川の積雪は16cm。平年は47cmだから三分の一くらいか。
過去のデータをさかのぼってみると、大晦日の旭川の積雪は1961年以降では20cmが最少で、20cmを切った状態で年を越したことはない。細かく見ると、1979年は30日に17cmだったから状況的には今年と似ているが、大晦日に7cmの降雪があり、最終的には20cmに達して新年を迎えている。
したがって、このまま10cm台で新年を迎えるとなると、旭川ではかなり異常なことだ。
1960年以前のデータは月別しか手元に無いので正確なことは旭川地台に聞かなくてはならないが、1917年の12月は最深積雪が16センチなので、仮にこれ以来とすれば89年ぶりの事態ということになる。
気象台予報では大晦日の天気は曇り昼前まで時々雪。850寒気が強いので、実際は午後もちらつく状況は続くとみるが、積もるのは午前中が勝負。どうなるであろうか?
2007年01月28日
札幌 雪は積もったが暖かさは16年ぶり続く
札幌はこの一週間でだいぶ冬らしくなった。28日の積雪は40センチを少し上回るくらいで、まだ平年より20センチちょっと少ないが、車道の脇にはそれなりの大きさの雪山が積み重なり、二車線通行できない道路も増えてきた。例年雪祭り前に排雪されるから今年はあまり煩わしさを感じる時期は少ないかもしれない。
しかし冬らしい寒さとなるとまだ?である。札幌では、今冬は1月28日まで氷点下10度以下というのがまだ一度もない。気象庁の電子閲覧室で調べると、1961年以降では1990-91年の冬季に2月18日まで氷点下10度にならなかったという例が一例あるだけで、過去2番目の遅さである。
ちなみに1990-91年の冬は1月中旬まで雪の量が少なかったという点でも今冬と共通しているが、この時は1月下旬からモサモサ雪が降り、2月には125cmの最深積雪も記録するなど札幌としては追い込み型の大雪年であった。
今冬もエルニーニョの影響で北高南低の札幌大雪型の冬型になりやすい傾向であるし、この後春先に向けて、意外と札幌中心部〜南区はドサドサ降り出すのかもしれん。
しかし冬らしい寒さとなるとまだ?である。札幌では、今冬は1月28日まで氷点下10度以下というのがまだ一度もない。気象庁の電子閲覧室で調べると、1961年以降では1990-91年の冬季に2月18日まで氷点下10度にならなかったという例が一例あるだけで、過去2番目の遅さである。
ちなみに1990-91年の冬は1月中旬まで雪の量が少なかったという点でも今冬と共通しているが、この時は1月下旬からモサモサ雪が降り、2月には125cmの最深積雪も記録するなど札幌としては追い込み型の大雪年であった。
今冬もエルニーニョの影響で北高南低の札幌大雪型の冬型になりやすい傾向であるし、この後春先に向けて、意外と札幌中心部〜南区はドサドサ降り出すのかもしれん。
2007年01月29日
珍しいタイプの札幌ドカ雪
札幌では29日の降雪量が22時の段階で30cmを超えた。立派な大雪である。
ただ、今回は札幌でよくあるタイプの大雪ではない。札幌の人はわかるかと思うが、今日の雪は今時期に降るようなフワフワ雪やあられっぽい雪ではなく、春に降るようなボタン雪が中心で、雪をどけようと思うと結構重い。水分を多めに含んだ雪なのだ。
普通札幌の大雪は北風に乗って日本海から次々に雪雲が流れ込み、手稲山や藻岩山などの山岳にぶつかってさらに発達し、山沿いにドサドサ雪を降らせる。札幌中心部は円山のそばなので、当然大量に積もる。
しかし今回は、いつもと違って上空は南風。雪雲の動きを見ると苫小牧方面から支笏湖を通って札幌へ流れ込んで消えてゆく。いつもと雪雲の流れが逆なのだ。
今回は気圧の谷が札幌〜登別付近に南北に延びて停滞し、ここに南から流れ込む湿った空気が樽前山とカルルス山系の間で収束したうえ地形の影響で持ち上げられて雪雲が次々に発生し、上空の南風に流されて支笏湖から札幌付近にかけて大雪を降らせたものだ。
実はこういう形は初夏にオホーツク海高気圧がある状況で低気圧が北海道に弱まりながら接近する場合にカルルス山系から支笏湖で大雨を降らせるパターンと一緒。当然6月から7月頃によくあるタイプなので真冬にこうなるのは珍しいと思う。29日の速報天気図を見ると確かにオホーツク海に高気圧があり、北海道南西部が気圧の谷となっている。
支笏湖畔は1月として始めて日降水量が70ミリ(しかも全量雪と思われる)を超えたが、これもこういうタイプの大雨・大雪が真冬にあるのは珍しいことを示していると思う。
このタイプの降水量予想はきわめて難しく、今日の雪の量が当たらないのもあたりまえといえば怒られるが、夏場もやっぱり当たらない。何故当たらないのかというと、いつまで続くかが当てにくい(突然終了することもよくあるし、しつこく残ることもある)、また雲の発達度合いも、どういう条件で何ミリ降らせるのかよくわからないからだ。
大雪警報は出ていないが、札幌はともかく、支笏湖のまわりの人は大丈夫だろうか?ちと心配。
ただ、今回は札幌でよくあるタイプの大雪ではない。札幌の人はわかるかと思うが、今日の雪は今時期に降るようなフワフワ雪やあられっぽい雪ではなく、春に降るようなボタン雪が中心で、雪をどけようと思うと結構重い。水分を多めに含んだ雪なのだ。
普通札幌の大雪は北風に乗って日本海から次々に雪雲が流れ込み、手稲山や藻岩山などの山岳にぶつかってさらに発達し、山沿いにドサドサ雪を降らせる。札幌中心部は円山のそばなので、当然大量に積もる。
しかし今回は、いつもと違って上空は南風。雪雲の動きを見ると苫小牧方面から支笏湖を通って札幌へ流れ込んで消えてゆく。いつもと雪雲の流れが逆なのだ。
今回は気圧の谷が札幌〜登別付近に南北に延びて停滞し、ここに南から流れ込む湿った空気が樽前山とカルルス山系の間で収束したうえ地形の影響で持ち上げられて雪雲が次々に発生し、上空の南風に流されて支笏湖から札幌付近にかけて大雪を降らせたものだ。
実はこういう形は初夏にオホーツク海高気圧がある状況で低気圧が北海道に弱まりながら接近する場合にカルルス山系から支笏湖で大雨を降らせるパターンと一緒。当然6月から7月頃によくあるタイプなので真冬にこうなるのは珍しいと思う。29日の速報天気図を見ると確かにオホーツク海に高気圧があり、北海道南西部が気圧の谷となっている。
支笏湖畔は1月として始めて日降水量が70ミリ(しかも全量雪と思われる)を超えたが、これもこういうタイプの大雨・大雪が真冬にあるのは珍しいことを示していると思う。
このタイプの降水量予想はきわめて難しく、今日の雪の量が当たらないのもあたりまえといえば怒られるが、夏場もやっぱり当たらない。何故当たらないのかというと、いつまで続くかが当てにくい(突然終了することもよくあるし、しつこく残ることもある)、また雲の発達度合いも、どういう条件で何ミリ降らせるのかよくわからないからだ。
大雪警報は出ていないが、札幌はともかく、支笏湖のまわりの人は大丈夫だろうか?ちと心配。
2007年02月15日
春の嵐はじまる
発達中の低気圧の影響で北海道は大荒れの天気だ。
札幌は14日の午後7時過ぎに最大瞬間風速31.4m/sという突風が吹いた。2月としては観測史上最高の記録で、2月に札幌で30m/s越えは史上初というおまけつきだ。
春先の低気圧は、大陸に残る冬の寒気と春の暖かい空気が日本付近でぶつかるために発達しやすい。低気圧は温度差が大きいほど発達のエネルギーが増すので、大陸と日本付近の温度差が大きくなるこれからの時期はまさに春の嵐の季節なのだ。
だから、今日は低気圧の影響で関東から九州まで軒並み春一番が吹いたが、「春一番」と低気圧の発達は必ずリンクする。今日の低気圧はまさに春の始まりを告げる低気圧なのであった。
ただ、北海道はまだまだベースの気温が低い。春をよぶ低気圧は、ちょっとの気温の違いで北海道にはもっさりと大雪を土産においていくことが多い。逆に雨を降らせてどんどん解かす場合もある。つまり、春を呼ぶ低気圧か、冬に引き戻す低気圧か、側まで来ないとわからないのである。
そういう意味では今回の低気圧は、本州方面には春を呼び、北海道にも春の気配を伝えたが、おそらくオホーツク海側ではびっしりと流氷が接岸するので、まだまだ冬だから油断するなよと言っている気がしないでもない。
札幌は14日の午後7時過ぎに最大瞬間風速31.4m/sという突風が吹いた。2月としては観測史上最高の記録で、2月に札幌で30m/s越えは史上初というおまけつきだ。
春先の低気圧は、大陸に残る冬の寒気と春の暖かい空気が日本付近でぶつかるために発達しやすい。低気圧は温度差が大きいほど発達のエネルギーが増すので、大陸と日本付近の温度差が大きくなるこれからの時期はまさに春の嵐の季節なのだ。
だから、今日は低気圧の影響で関東から九州まで軒並み春一番が吹いたが、「春一番」と低気圧の発達は必ずリンクする。今日の低気圧はまさに春の始まりを告げる低気圧なのであった。
ただ、北海道はまだまだベースの気温が低い。春をよぶ低気圧は、ちょっとの気温の違いで北海道にはもっさりと大雪を土産においていくことが多い。逆に雨を降らせてどんどん解かす場合もある。つまり、春を呼ぶ低気圧か、冬に引き戻す低気圧か、側まで来ないとわからないのである。
そういう意味では今回の低気圧は、本州方面には春を呼び、北海道にも春の気配を伝えたが、おそらくオホーツク海側ではびっしりと流氷が接岸するので、まだまだ冬だから油断するなよと言っている気がしないでもない。
2007年02月18日
暖冬札幌 大記録誕生
札幌は今冬一度も氷点下10度以下とならずに今日2月18日が過ぎようとしている。
札幌では1876年9月から約130年にわたる気温の観測記録を持つが、2月18日まで一度も氷点下10度以下とならなかった冬はない。過去もっとも遅かったのは1990−91年冬季の2月17日まで一回も無かったというのがこれまでの記録で、まさに今観測史上初の記録が生まれようとしているのだ。
今年は何でもかんでも「エルニーニョ」で済ませようとする傾向だが、スーパーエルニーニョだった1997−98冬季はともかく、今年は基準ギリギリのなんとなくエルニーニョだから、そのほかにもいろいろと複合しての結果であろう。ともかく今冬の記録的な暖冬にまた一つ勲章が加わったわけだ。
札幌は、らしい冷え込みもないまま雪解けの時期がもう目前に迫っている。
札幌では1876年9月から約130年にわたる気温の観測記録を持つが、2月18日まで一度も氷点下10度以下とならなかった冬はない。過去もっとも遅かったのは1990−91年冬季の2月17日まで一回も無かったというのがこれまでの記録で、まさに今観測史上初の記録が生まれようとしているのだ。
今年は何でもかんでも「エルニーニョ」で済ませようとする傾向だが、スーパーエルニーニョだった1997−98冬季はともかく、今年は基準ギリギリのなんとなくエルニーニョだから、そのほかにもいろいろと複合しての結果であろう。ともかく今冬の記録的な暖冬にまた一つ勲章が加わったわけだ。
札幌は、らしい冷え込みもないまま雪解けの時期がもう目前に迫っている。
2007年04月11日
変わる釧路の常識
地球温暖化の影響を最も受けるのが、冬のオホーツク海といわれる。なぜなら流氷が作られなくなることで、冬の気温が劇的に上昇するためだ。暖冬だった今年もオホーツク海側の海明けは早かった。紋別は接岸初日が3月2日で海明けが3月6日だから、流氷が付いていたのはたった4日間だ。
オホーツク海沿岸でさえこうなのだから、流氷が北海道の太平洋側に接岸することなど、それほど遠くない未来に無くなるのだろう。というか、もう既にありえない話になってきている。現に釧路は今年も流氷が姿を見せなかった。これで4年連続流氷は来ていない。これが接岸となると、平成になってから一度もない。最後に流氷が接岸したのは1987年だから20年前。釧路で20歳以下の人は基本的に「釧路に流氷が接岸する」ことを知らないということだ。
21世紀初頭を生きるわれわれにとっての常識は「釧路では流氷は見えることはあっても接岸しない」ということになる。
ところが、たった100年ちょっと前、釧路の常識は全く違った。ここに明治25年(1892年)4月2日の北海道毎日新聞(といっても道新の前身)がある。ここには次のような記載がある。
「釧路国釧路港は例年流氷湾内を閉塞して航行を途絶すれども・・・」
なんと1890年代、釧路の常識は「通常、冬には流氷が接岸するので船が航行できなくなる」というものであるのだ。
記事には続きがあって、1892年は「温暖」だったため3月の下旬にはそのような心配もいらなくなったが、3月24日に北風が吹いたため、霧多布から「襟裳岬」まで流氷が押し寄せて、釧路の湾内もすっかり流氷に閉ざされて昆布業者が呆れている、というものだ。
「暖冬年」でも風向き次第で襟裳岬まで流氷がびっしりというのはなかなか想像できない驚愕の記事だ。
こうなると明治のころまでは「通常の冬」は襟裳くらいまで流氷が見られるのは当たり前で、浦河や八戸あたりまで流れていたのかもしれない?そのころの衛星画像があれば流氷の分布を見てみたかったものだ。
ともかく釧路の流氷についての常識は、明治の「例年流氷接岸」から昭和には「例年見られてたまに接岸」、そして現在の「たまに見られるが接岸はしない」といった具合に変化していることがわかる。
急速に温暖化が進むと、まだまだ釧路の100年前とほぼ同じ状況のオホーツク海側も、これから50年程度で同じような道を歩むのかもしれない。
オホーツク海沿岸でさえこうなのだから、流氷が北海道の太平洋側に接岸することなど、それほど遠くない未来に無くなるのだろう。というか、もう既にありえない話になってきている。現に釧路は今年も流氷が姿を見せなかった。これで4年連続流氷は来ていない。これが接岸となると、平成になってから一度もない。最後に流氷が接岸したのは1987年だから20年前。釧路で20歳以下の人は基本的に「釧路に流氷が接岸する」ことを知らないということだ。
21世紀初頭を生きるわれわれにとっての常識は「釧路では流氷は見えることはあっても接岸しない」ということになる。
ところが、たった100年ちょっと前、釧路の常識は全く違った。ここに明治25年(1892年)4月2日の北海道毎日新聞(といっても道新の前身)がある。ここには次のような記載がある。
「釧路国釧路港は例年流氷湾内を閉塞して航行を途絶すれども・・・」
なんと1890年代、釧路の常識は「通常、冬には流氷が接岸するので船が航行できなくなる」というものであるのだ。
記事には続きがあって、1892年は「温暖」だったため3月の下旬にはそのような心配もいらなくなったが、3月24日に北風が吹いたため、霧多布から「襟裳岬」まで流氷が押し寄せて、釧路の湾内もすっかり流氷に閉ざされて昆布業者が呆れている、というものだ。
「暖冬年」でも風向き次第で襟裳岬まで流氷がびっしりというのはなかなか想像できない驚愕の記事だ。
こうなると明治のころまでは「通常の冬」は襟裳くらいまで流氷が見られるのは当たり前で、浦河や八戸あたりまで流れていたのかもしれない?そのころの衛星画像があれば流氷の分布を見てみたかったものだ。
ともかく釧路の流氷についての常識は、明治の「例年流氷接岸」から昭和には「例年見られてたまに接岸」、そして現在の「たまに見られるが接岸はしない」といった具合に変化していることがわかる。
急速に温暖化が進むと、まだまだ釧路の100年前とほぼ同じ状況のオホーツク海側も、これから50年程度で同じような道を歩むのかもしれない。
2007年06月07日
何かと雨の降るYOSAKOIソーラン祭り
今年も6日からYOSAKOIソーラン祭りが始まった。
何かと黒い噂の多い、この祭りであるが、天の神も見ているところは見ているのか(?)、ここ10日ほど雨のなかった札幌に、開幕日の6日夜、雷鳴が轟いた。
同僚が調べたところによれば、YOSAKOIといえば「雨」らしい。少なくともここ4年連続で雨に降られている。昨年2006年も最終日を除き連日雨と、まあ踊り手にはかわいそうな状況であった。
先日、YOSAKOIの嫌いなあるパーソナリティと話したが、気象台は晴れ予報にしているが、どうもYOSAKOIソーランが始まる頃から雨ですよと話したら。含み笑いをしておった。
結局今年も華々しくぐずつき天気でスタートを切ったYOSAKOIソーラン祭り。寒冷低気圧の影響を受けて前半戦はすっきりしない天気となる予想。
週末はよさげな予報が出ているが、気象台の週間予報よりは、YOSAKOIの雨ジンクスのほうが当たりそうな気がする。
何かと黒い噂の多い、この祭りであるが、天の神も見ているところは見ているのか(?)、ここ10日ほど雨のなかった札幌に、開幕日の6日夜、雷鳴が轟いた。
同僚が調べたところによれば、YOSAKOIといえば「雨」らしい。少なくともここ4年連続で雨に降られている。昨年2006年も最終日を除き連日雨と、まあ踊り手にはかわいそうな状況であった。
先日、YOSAKOIの嫌いなあるパーソナリティと話したが、気象台は晴れ予報にしているが、どうもYOSAKOIソーランが始まる頃から雨ですよと話したら。含み笑いをしておった。
結局今年も華々しくぐずつき天気でスタートを切ったYOSAKOIソーラン祭り。寒冷低気圧の影響を受けて前半戦はすっきりしない天気となる予想。
週末はよさげな予報が出ているが、気象台の週間予報よりは、YOSAKOIの雨ジンクスのほうが当たりそうな気がする。
2007年06月08日
ファイターズと天気の関係
日本ハムファイターズの13連勝というのが結構話題になっているので、ファイターズの成績と天気の関係についてちょっと調べてみたところ、意外な関係がわかったので(たまたまだろうが)書き残しておくことにする。
今年5月中旬以降、ファイターズの試合が行われる所の日中の天気が「晴れ」ている場合、ファイターズはすべて勝っている。勝率10割だ。一方、逆に日中雨が降った場合の勝率は4割にまで落ち込むのである。
5月以前は必ずしもこうではないので、今後もずっとそうだとはいえないが、近頃のファイターズは内弁慶ならず「晴れ弁慶」といったところか?
F党の人は試合前の天気を見れば、今日は勝てるとか苦戦しそうだとか、予想できるかも。
ちなみに14連勝をかけた6月8日のゲームは松山だが、気象庁の予報では「晴れ昼過ぎからくもり 所により一時雨か雷雨」という予報。明日の西日本は大気の安定度が非常に悪いので、日中雨が降ってしまうと・・・不吉な結果になってしまうかも?
今年5月中旬以降、ファイターズの試合が行われる所の日中の天気が「晴れ」ている場合、ファイターズはすべて勝っている。勝率10割だ。一方、逆に日中雨が降った場合の勝率は4割にまで落ち込むのである。
5月以前は必ずしもこうではないので、今後もずっとそうだとはいえないが、近頃のファイターズは内弁慶ならず「晴れ弁慶」といったところか?
F党の人は試合前の天気を見れば、今日は勝てるとか苦戦しそうだとか、予想できるかも。
ちなみに14連勝をかけた6月8日のゲームは松山だが、気象庁の予報では「晴れ昼過ぎからくもり 所により一時雨か雷雨」という予報。明日の西日本は大気の安定度が非常に悪いので、日中雨が降ってしまうと・・・不吉な結果になってしまうかも?
2007年06月11日
東京の最高気温46.3度
東京の最高気温が46.3度を記録…
これは小説の話ではない。実測値である。時は1923年(大正12年)9月2日。日付でピンときた方もいると思うが、関東大震災の時に記録された東京の最高気温だ。
前日9月1日の正午前に発生した関東地震。これにより東京は火に包まれ、夜空を焦がす赤い炎は群馬からも見えたともいう。
この地震による大火災で中央気象台も多くを焼失したが、当時の観測記録を見ると気象台が燃える中でも気象観測は一時の欠測もなく続いていることがわかる。
「気象百年史」によると、地震後の余震が頻発していたことや、室内が散乱して危険だったため、30分たらずで雨量計付近に臨時執務所を設け、その後の観測には支障が無かったとのことであった。
ちなみに地震(11時59分発生)による大揺れの中行われた9月1日12時の東京の気象観測では、天気は雨、雲量は10、気温は28.7度、湿度77%でかなりじめじめした蒸し暑い状態だったことがわかる。風は南南西12.3m/sと強かった。これが火災を大規模にした原因である。
天候は午後2時には回復し晴れ間が見えてきた。そして普通夕方には下がるはずの気温がじわじわと上がり始めるのである。午後4時に30度、その後もほぼ29度台で推移し、快晴となった午後9時に再び30度を突破、9月2日午前0時には37.1度まで上昇して9月の観測史上最高記録を塗り替えてしまった。
ちょうどそのとき、中央気象台は炎に包まれようとしていた。気象史によれば「今や四方火に包まれ」、「火の粉は雨あられの如く襲来し、遂に気象台全体を覆うに至り」という状況の中で、観測は続けられたのである。いやはや凄いプロ魂であった。
そして中央気象台が赤い炎をあげて燃え上がっていた最中の9月2日午前1時頃、46.3度の最高気温は記録された。
当然ながら、この記録は「地震ニ伴フ大火ノ為、気温劇昇ス」と注意書きが書かれ、参考記録となった。 このため、現在の日本の最高気温は昭和8年に山形で記録された40.8度であるが、地球温暖化にヒートアイランドなど禍々しい気候変化が続くと、火災なしでも、東京でこの46.3度に達する時が来るのかもしれないと考えるとゾッとする。
これは小説の話ではない。実測値である。時は1923年(大正12年)9月2日。日付でピンときた方もいると思うが、関東大震災の時に記録された東京の最高気温だ。
前日9月1日の正午前に発生した関東地震。これにより東京は火に包まれ、夜空を焦がす赤い炎は群馬からも見えたともいう。
この地震による大火災で中央気象台も多くを焼失したが、当時の観測記録を見ると気象台が燃える中でも気象観測は一時の欠測もなく続いていることがわかる。
「気象百年史」によると、地震後の余震が頻発していたことや、室内が散乱して危険だったため、30分たらずで雨量計付近に臨時執務所を設け、その後の観測には支障が無かったとのことであった。
ちなみに地震(11時59分発生)による大揺れの中行われた9月1日12時の東京の気象観測では、天気は雨、雲量は10、気温は28.7度、湿度77%でかなりじめじめした蒸し暑い状態だったことがわかる。風は南南西12.3m/sと強かった。これが火災を大規模にした原因である。
天候は午後2時には回復し晴れ間が見えてきた。そして普通夕方には下がるはずの気温がじわじわと上がり始めるのである。午後4時に30度、その後もほぼ29度台で推移し、快晴となった午後9時に再び30度を突破、9月2日午前0時には37.1度まで上昇して9月の観測史上最高記録を塗り替えてしまった。
ちょうどそのとき、中央気象台は炎に包まれようとしていた。気象史によれば「今や四方火に包まれ」、「火の粉は雨あられの如く襲来し、遂に気象台全体を覆うに至り」という状況の中で、観測は続けられたのである。いやはや凄いプロ魂であった。
そして中央気象台が赤い炎をあげて燃え上がっていた最中の9月2日午前1時頃、46.3度の最高気温は記録された。
当然ながら、この記録は「地震ニ伴フ大火ノ為、気温劇昇ス」と注意書きが書かれ、参考記録となった。 このため、現在の日本の最高気温は昭和8年に山形で記録された40.8度であるが、地球温暖化にヒートアイランドなど禍々しい気候変化が続くと、火災なしでも、東京でこの46.3度に達する時が来るのかもしれないと考えるとゾッとする。
2007年06月12日
北海道初真夏日in2007
昨日、46.3度の記事を書いたからというわけではないが、昨年より約一ヶ月早く北海道の大地にも夏到来である。
フェーン現象のオホーツク海側を中心に、上川・網走・十勝地方で最高気温が30度を超えて真夏日となった。津別の33.2度は今日の全国トップで、6月の観測史上最高というおまけつきである。
だいたい北海道で真夏日の目安は上空1500m付近の気温が15度である。乾燥した空気は100m下がる毎に約1度気温が上がるため、1500m下ると15度上がる。このため15+15=30度という理屈。
今朝9時の札幌上空1500m付近にはちょうど15.0度の暖気が入った。このため、今日の北海道は海から冷たい空気の流れ込む場所以外は、基本的に真夏日の条件を備えていたわけ。フェーン現象で上空から空気が下降してきたオホーツク海側や十勝は真夏日となった。大まかな気温予想はこのような形で考えることができるのだ。
ところで、この暖気は南から流れ込んだのではない。実はロシア沿海州から北海道へ流れ込んだもの。暖気は「北」からやってきたのだ。
この辺も北海道の気象が教科書通りにならない面白いところで、ロシアのハバロフスクは稚内よりずっと北の北緯48度にあるが、今日午後3時の気温は29.0度と厳しい暑さ。上空1500mの気温は札幌より6度も高い21度であった。
しかし、暑いのには上があるもので、熱波のパキスタン・Nawabshahというところでは、今日午後9時(現地午後5時)の気温がなんと47.0度!!
昨日の東京の話を参考にすると、火事の火の粉が降り注ぐ中よりも暑いってことだよなこれ・・・
フェーン現象のオホーツク海側を中心に、上川・網走・十勝地方で最高気温が30度を超えて真夏日となった。津別の33.2度は今日の全国トップで、6月の観測史上最高というおまけつきである。
だいたい北海道で真夏日の目安は上空1500m付近の気温が15度である。乾燥した空気は100m下がる毎に約1度気温が上がるため、1500m下ると15度上がる。このため15+15=30度という理屈。
今朝9時の札幌上空1500m付近にはちょうど15.0度の暖気が入った。このため、今日の北海道は海から冷たい空気の流れ込む場所以外は、基本的に真夏日の条件を備えていたわけ。フェーン現象で上空から空気が下降してきたオホーツク海側や十勝は真夏日となった。大まかな気温予想はこのような形で考えることができるのだ。
ところで、この暖気は南から流れ込んだのではない。実はロシア沿海州から北海道へ流れ込んだもの。暖気は「北」からやってきたのだ。
この辺も北海道の気象が教科書通りにならない面白いところで、ロシアのハバロフスクは稚内よりずっと北の北緯48度にあるが、今日午後3時の気温は29.0度と厳しい暑さ。上空1500mの気温は札幌より6度も高い21度であった。
しかし、暑いのには上があるもので、熱波のパキスタン・Nawabshahというところでは、今日午後9時(現地午後5時)の気温がなんと47.0度!!
昨日の東京の話を参考にすると、火事の火の粉が降り注ぐ中よりも暑いってことだよなこれ・・・
2007年06月14日
中国で梅雨入り
今年は西日本の梅雨入りが遅れていたが、昨日の九州北部・四国に続き、今日は四国〜関東が梅雨入りした。
午前10時頃「中国地方で梅雨入り」の発表が届き、同僚が「中国で梅雨?次は朝鮮だな」と話して周囲の失笑を買っていた。確かに中国地方と中華人民共和国・略して中国は紛らわしい。
ところで梅雨は日本だけの現象ではない。梅雨前線がどこからどこへ延びるかを考えればわかることだが、中国(中華人民共和国)、台湾、朝鮮半島にも梅雨がある。当然ながら、南にある中国南部や台湾は沖縄同様5月に梅雨入りし、朝鮮半島では通常6月下旬に梅雨入りする。先の同僚ではないが、中国→台湾→日本→韓国というのが国単位で見た梅雨入りのスケジュールとなろう。
そういう意味では「梅雨入り宣言」も東アジアで情報を共有化しても面白いかもしれない。沖縄の人も、台湾が梅雨入りしたと聞けば、そろそろかなと思ったりできるであろうし、韓国南部と北陸が同時に梅雨入りしましたとか、いかにもグローバルな感じでいいと思うけどなあ。
午前10時頃「中国地方で梅雨入り」の発表が届き、同僚が「中国で梅雨?次は朝鮮だな」と話して周囲の失笑を買っていた。確かに中国地方と中華人民共和国・略して中国は紛らわしい。
ところで梅雨は日本だけの現象ではない。梅雨前線がどこからどこへ延びるかを考えればわかることだが、中国(中華人民共和国)、台湾、朝鮮半島にも梅雨がある。当然ながら、南にある中国南部や台湾は沖縄同様5月に梅雨入りし、朝鮮半島では通常6月下旬に梅雨入りする。先の同僚ではないが、中国→台湾→日本→韓国というのが国単位で見た梅雨入りのスケジュールとなろう。
そういう意味では「梅雨入り宣言」も東アジアで情報を共有化しても面白いかもしれない。沖縄の人も、台湾が梅雨入りしたと聞けば、そろそろかなと思ったりできるであろうし、韓国南部と北陸が同時に梅雨入りしましたとか、いかにもグローバルな感じでいいと思うけどなあ。
2007年06月19日
天気予報が初めて発表された日
日本で天気予報が初めて発表された日はいつか?
何故か、巷では6月16日という説と、6月1日という説がある。皆さんも適当に検索エンジンで試してみてほしい。両方の説が出てくるはずだ。
年は1884年(明治17年)であるのは間違いない。そして、発表された天気予報は「全国一般風ノ向キハ定マリナシ天気ハ変ワリ易シ但シ雨天ガチ」という、なんともはっきりしない天気予報。当時は天気予報といってもこれが限界だった。これも間違いない。
発表したのは当時中央気象台に技術指導に来ていたお抱え外国人(ドイツ人)のクニッピング氏である。クニッピングはこのほかにも、警報制度を作ったり、初めての天気図を作ってみたり、気象の世界のいろいろな「日本初」を行い、日本気象界では偉人である。
天気予報をするには「天気図」が必要。このため、全国各地の気象観測結果を当時最先端の技術である電報を使って収集した。観測結果のデータ送信をいまだに現場では「電文」というが、これは電報時代の名残である。
1884年にクニッピングによって気象電報制度が確立され、天気図が定期的に描くことができるようになった。このため、天気予報もできるようになったわけだ。
気象庁発刊の気象百年史には「1884年6月1日から1日3回発表」と記載されている。ここでは6月1日説を真としたい。
さて123年経って、日本の天気予報はどこまでわかりやすくなったのか?今日6月19日夕方発表の全国気象概況を比べてみよう。
まず気象協会。
「日本付近に南から湿った空気が流れ込むでしょう。九州から北陸にかけては雲に覆われ、所々で雨や雷雨になりそうです。落雷や突風、短い時間の強い雨にご注意下さい。東海と関東は雲が多くなりますが、晴れ間は出るでしょう。東北は次第に雲が広がり、夕方以降は雨の所が多くなりそうです。北海道は青空が広がり洗濯日和が続くでしょう。沖縄は午後から晴れそうです。」
次にウェザーニューズ。
「西日本や東日本は上空の寒気や湿った空気の影響を受けます。今夜から明日にかけて、全般に曇りや雨で、雷を伴って強く降る所もありそうです。北日本は晴れる所が多いですが、明日の東北は、気圧の谷の影響で曇りや雨となるでしょう。」
ん〜。わかりやすくなりましたね。
でも内容は両者結構違うなぁ。
何故か、巷では6月16日という説と、6月1日という説がある。皆さんも適当に検索エンジンで試してみてほしい。両方の説が出てくるはずだ。
年は1884年(明治17年)であるのは間違いない。そして、発表された天気予報は「全国一般風ノ向キハ定マリナシ天気ハ変ワリ易シ但シ雨天ガチ」という、なんともはっきりしない天気予報。当時は天気予報といってもこれが限界だった。これも間違いない。
発表したのは当時中央気象台に技術指導に来ていたお抱え外国人(ドイツ人)のクニッピング氏である。クニッピングはこのほかにも、警報制度を作ったり、初めての天気図を作ってみたり、気象の世界のいろいろな「日本初」を行い、日本気象界では偉人である。
天気予報をするには「天気図」が必要。このため、全国各地の気象観測結果を当時最先端の技術である電報を使って収集した。観測結果のデータ送信をいまだに現場では「電文」というが、これは電報時代の名残である。
1884年にクニッピングによって気象電報制度が確立され、天気図が定期的に描くことができるようになった。このため、天気予報もできるようになったわけだ。
気象庁発刊の気象百年史には「1884年6月1日から1日3回発表」と記載されている。ここでは6月1日説を真としたい。
さて123年経って、日本の天気予報はどこまでわかりやすくなったのか?今日6月19日夕方発表の全国気象概況を比べてみよう。
まず気象協会。
「日本付近に南から湿った空気が流れ込むでしょう。九州から北陸にかけては雲に覆われ、所々で雨や雷雨になりそうです。落雷や突風、短い時間の強い雨にご注意下さい。東海と関東は雲が多くなりますが、晴れ間は出るでしょう。東北は次第に雲が広がり、夕方以降は雨の所が多くなりそうです。北海道は青空が広がり洗濯日和が続くでしょう。沖縄は午後から晴れそうです。」
次にウェザーニューズ。
「西日本や東日本は上空の寒気や湿った空気の影響を受けます。今夜から明日にかけて、全般に曇りや雨で、雷を伴って強く降る所もありそうです。北日本は晴れる所が多いですが、明日の東北は、気圧の谷の影響で曇りや雨となるでしょう。」
ん〜。わかりやすくなりましたね。
でも内容は両者結構違うなぁ。
2007年06月28日
お天気は三面記事
今年は「昔の新聞を読む」というのがマイブームである。当然、興味があるのは気象災害をどう伝えたかという点が最も大きいのであるが、その他の記事も時代によって書き方や視点が違っていて非常に面白い。ついつい図書館に3〜4時間は居座って、すっかり休日をつぶしている。
今日もそういう一日であった。今回は明治41年(1908年)の北海タイムス、1970年(昭和45)の北海道新聞を読破してきた。
この両方の時代、そして現在にも通じることだが、基本的に天気の記事は、いわゆる「三面記事」のひとつとして出てくることがほとんどである。
例えば、1908年3月11日の北海タイムス。それこそ「三面」には、近年稀なる暴風雪により大シケとなった天売島で鱈つり漁船が54隻も遭難し、行方不明者が実に382人(!!!)という衝撃的な気象災害記事がトップとなる一方、「農科大学特待生の姦通」がプライバシーそっちのけで災害ニュースの1.5倍ほどの分量をもって非常に詳細に記述されている。
さらに続いて、札幌琴似の娘が人魚に似た奇形児を6匹産んだという噂話が続き、当時流行っていた狂犬病の話で紙面がほぼ埋まっているという具合。
このため、昔の気象災害記事を読んでいると、自然と目に入る記事から、当時のゴシップや噂話、殺人事件等に詳しくなってくる。
この傾向は1970年においても、2007年においても大して変わらない。天気に関わる話題は、基本的に事件や事故の殺伐とした記事の中に埋もれるように書かれているのであった。
今日もそういう一日であった。今回は明治41年(1908年)の北海タイムス、1970年(昭和45)の北海道新聞を読破してきた。
この両方の時代、そして現在にも通じることだが、基本的に天気の記事は、いわゆる「三面記事」のひとつとして出てくることがほとんどである。
例えば、1908年3月11日の北海タイムス。それこそ「三面」には、近年稀なる暴風雪により大シケとなった天売島で鱈つり漁船が54隻も遭難し、行方不明者が実に382人(!!!)という衝撃的な気象災害記事がトップとなる一方、「農科大学特待生の姦通」がプライバシーそっちのけで災害ニュースの1.5倍ほどの分量をもって非常に詳細に記述されている。
さらに続いて、札幌琴似の娘が人魚に似た奇形児を6匹産んだという噂話が続き、当時流行っていた狂犬病の話で紙面がほぼ埋まっているという具合。
このため、昔の気象災害記事を読んでいると、自然と目に入る記事から、当時のゴシップや噂話、殺人事件等に詳しくなってくる。
この傾向は1970年においても、2007年においても大して変わらない。天気に関わる話題は、基本的に事件や事故の殺伐とした記事の中に埋もれるように書かれているのであった。
2007年07月02日
中国の雷
今日の中国気象局の定期会見によれば、2007年6月の一ヶ月間に、中国では落雷で138人が死亡したということである。
一瞬目を疑った。一年ではない、一ヶ月である。世界で最も人間の多い国はスケールが違う。
これが特別なことか?といえば、昨年の6月も104人が落雷で亡くなっている。ということは、通常三桁ということか!?
記事をいくつか見ていると、大木の下で雨宿りといった「いかにも」というものから、墓を掘っている途中に落雷といった不幸なものまで原因は様々であった。中国も梅雨の季節。中国気象局のレーダーを見ていると急発達する積乱雲があちこちで湧いては消えているのが見える。
(でも中国のレーダー画像って「dB」表示なのね〜)
ところで日本の「かみなり」は「神鳴り」からきており、神様が鳴らすものであった。中国でも雷は神様と関連があるようだが、「雷」という漢字の成り立ちが太鼓四つを繋げた象形文字であるところからみて、相当大きな音を出すものという印象があるようで、ある研究によれば火薬を使う兵器には爆発の際の大音響から「雷」の字を当てているものが多いそうだ。
そういえば、日本でも「地雷」とか「機雷」などの言葉があるが、これも中国から輸入したのだろうか?
ともかく中国でも日本ほど雷に対する教育や予報・観測体制が普及すれば、ここまで死人は出まい。普段は、また「オオカミか」とつぶやきがちな日本の雷注意報も世界の中では立派なもんであると再認識した。
一瞬目を疑った。一年ではない、一ヶ月である。世界で最も人間の多い国はスケールが違う。
これが特別なことか?といえば、昨年の6月も104人が落雷で亡くなっている。ということは、通常三桁ということか!?
記事をいくつか見ていると、大木の下で雨宿りといった「いかにも」というものから、墓を掘っている途中に落雷といった不幸なものまで原因は様々であった。中国も梅雨の季節。中国気象局のレーダーを見ていると急発達する積乱雲があちこちで湧いては消えているのが見える。
(でも中国のレーダー画像って「dB」表示なのね〜)
ところで日本の「かみなり」は「神鳴り」からきており、神様が鳴らすものであった。中国でも雷は神様と関連があるようだが、「雷」という漢字の成り立ちが太鼓四つを繋げた象形文字であるところからみて、相当大きな音を出すものという印象があるようで、ある研究によれば火薬を使う兵器には爆発の際の大音響から「雷」の字を当てているものが多いそうだ。
そういえば、日本でも「地雷」とか「機雷」などの言葉があるが、これも中国から輸入したのだろうか?
ともかく中国でも日本ほど雷に対する教育や予報・観測体制が普及すれば、ここまで死人は出まい。普段は、また「オオカミか」とつぶやきがちな日本の雷注意報も世界の中では立派なもんであると再認識した。
2007年07月03日
たまには旭川地方気象台を褒めてみる
昨日は中国の雷の話だったが、今日は北海道で雷である。正直ここまですごいことになるとは思わなかったので、今日は旭川地方気象台を褒めてみることにした。
天気図を詳しく解析すると、今日の北海道は太平洋側は関東東海上の低気圧から運ばれる暖湿気の影響で低い雲がかかった一方、中部以北は、はるか東海上の高気圧の張り出しの中に入りよく晴れた。500hPa面ではトラフ通過で若干冷たい空気が流れ込んでいたのでSSIは0〜3と大気の状態は不安定である。
今日の上川地方は午前中は晴れて気温が急上昇。名寄や美深で30度を超えた。このため北見山地〜大雪周辺で積乱雲が湧きあがりはじめた。
まだレーダーで見えるエコーも局所的でアメダス等の雨量観測所で雨が観測されないうちに、旭川地方気象台は大雨注意報を発表、次いで大雨警報を出した。
ここまではよくある話で、通常は警報クラスの大雨の実感がないまま雨雲は消滅し、ひっそりと警報は解除される。「気象警報」がオオカミ少年といわれるゆえんだ。
しかし今日は違った。雨雲はどんどん広範囲に広がり、旭川市瑞穂では1時間に55ミリと観測史上最強の雨、美瑛でも36ミリの7月1位の激しい雨で、雨は白い煙のように見えるほどだったらしい。
結局、警報文中の「1時間に60ミリ」が的中する降りっぷり。正直恐れ入った。このクラスの雨を雨雲が小さい段階で予測し、事前に警報を発表するという防災の王道を行く対応ぶり。
旭川地方気象台。今日はいい仕事をしました。
天気図を詳しく解析すると、今日の北海道は太平洋側は関東東海上の低気圧から運ばれる暖湿気の影響で低い雲がかかった一方、中部以北は、はるか東海上の高気圧の張り出しの中に入りよく晴れた。500hPa面ではトラフ通過で若干冷たい空気が流れ込んでいたのでSSIは0〜3と大気の状態は不安定である。
今日の上川地方は午前中は晴れて気温が急上昇。名寄や美深で30度を超えた。このため北見山地〜大雪周辺で積乱雲が湧きあがりはじめた。
まだレーダーで見えるエコーも局所的でアメダス等の雨量観測所で雨が観測されないうちに、旭川地方気象台は大雨注意報を発表、次いで大雨警報を出した。
ここまではよくある話で、通常は警報クラスの大雨の実感がないまま雨雲は消滅し、ひっそりと警報は解除される。「気象警報」がオオカミ少年といわれるゆえんだ。
しかし今日は違った。雨雲はどんどん広範囲に広がり、旭川市瑞穂では1時間に55ミリと観測史上最強の雨、美瑛でも36ミリの7月1位の激しい雨で、雨は白い煙のように見えるほどだったらしい。
結局、警報文中の「1時間に60ミリ」が的中する降りっぷり。正直恐れ入った。このクラスの雨を雨雲が小さい段階で予測し、事前に警報を発表するという防災の王道を行く対応ぶり。
旭川地方気象台。今日はいい仕事をしました。
2007年07月10日
ラニーニャですが・・・
5月くらいは「北海道の盛夏は暑い」といった見方で占められていたが、6月に入って「平年並みかやや高い」くらいに修正となって、先週の一ヶ月予報ではついに「低い」というところまで下方修正となった。この違いはなんだろう?
一つは「ラニーニャ現象」。この現象が起こると、西太平洋の赤道付近では対流が活発となるため、日本の南の太平洋高気圧を強めやすい。このため日本は例年より勢力の強い高気圧に覆われて、北海道も暑くなる。春からラニーニャのきざしがあったので、5月時点では「まあ暑い夏では?」という見方になったようだ。
しかし、前の冬はかなりエルニーニョに近い状況だった。参考にエルニーニョの冬が明けてラニーニャになった年、1964年、1970年、1988年についてみると、北海道の7月はいずれも前半中心に低温傾向であった。ただ7月末や8月頭は異常に暑い時期があった。
このため、夏は暑いのか?と聞かれるたびに、個人的には7月は寒いかもと答えてきたが、毎回毎回統計どおりに事が運ぶとは限らないので、8月はそこそこ暑い日もあるよと逃げの手も打ってきた。
しかし先月から今月にかけて、太平洋高気圧は西は強いものの東はそれほどでもない状況である。これはどうやら日本の南の海水温と関係があるらしいと、気象庁OBの人が教えてくれた。
気象庁のHPでも見られるが、6月は日本の南、特に関東南東海上の海水温が異常に低い。これのせいで太平洋高気圧が強まろうとしても、冷たい海に温度を奪われ、なかなか北へ張り出せないのだ。
このため沖縄からフィリピンにかけてはそれほど海水温が低くなかったため、ここに高気圧が張り出し、西日本への湿った空気の流れをシャッタアウトした。これで西日本の干害も説明できる。なるほどな〜と思った。
6月ほどではないが、現在も日本の南の北緯30度線の海面温度は平年より低い状態。このため、太平洋高気圧の強弱を反映するように、梅雨前線の位置も西高東低になっている。
太平洋高気圧にじゃまされることなく、北海道はオホーツク海高気圧の独壇場がまだまだ続く。なぜオホ高が強まったのかは別の機会として、やはり7月は寒い。
一つは「ラニーニャ現象」。この現象が起こると、西太平洋の赤道付近では対流が活発となるため、日本の南の太平洋高気圧を強めやすい。このため日本は例年より勢力の強い高気圧に覆われて、北海道も暑くなる。春からラニーニャのきざしがあったので、5月時点では「まあ暑い夏では?」という見方になったようだ。
しかし、前の冬はかなりエルニーニョに近い状況だった。参考にエルニーニョの冬が明けてラニーニャになった年、1964年、1970年、1988年についてみると、北海道の7月はいずれも前半中心に低温傾向であった。ただ7月末や8月頭は異常に暑い時期があった。
このため、夏は暑いのか?と聞かれるたびに、個人的には7月は寒いかもと答えてきたが、毎回毎回統計どおりに事が運ぶとは限らないので、8月はそこそこ暑い日もあるよと逃げの手も打ってきた。
しかし先月から今月にかけて、太平洋高気圧は西は強いものの東はそれほどでもない状況である。これはどうやら日本の南の海水温と関係があるらしいと、気象庁OBの人が教えてくれた。
気象庁のHPでも見られるが、6月は日本の南、特に関東南東海上の海水温が異常に低い。これのせいで太平洋高気圧が強まろうとしても、冷たい海に温度を奪われ、なかなか北へ張り出せないのだ。
このため沖縄からフィリピンにかけてはそれほど海水温が低くなかったため、ここに高気圧が張り出し、西日本への湿った空気の流れをシャッタアウトした。これで西日本の干害も説明できる。なるほどな〜と思った。
6月ほどではないが、現在も日本の南の北緯30度線の海面温度は平年より低い状態。このため、太平洋高気圧の強弱を反映するように、梅雨前線の位置も西高東低になっている。
太平洋高気圧にじゃまされることなく、北海道はオホーツク海高気圧の独壇場がまだまだ続く。なぜオホ高が強まったのかは別の機会として、やはり7月は寒い。
2007年07月19日
上はアチアチ 下はブルブル
オホーツク海や千島方面から高気圧が張り出すこと数日。ほとんど変わらぬ気圧配置が、同じ北海道に違った気候をもたらしている。
高気圧が運ぶ冷たく湿った南風を受け止める太平洋側はひどい寒さが続く。帯広は今日も15度に達しなかった。これで7月中旬の15度未満は3回目で、1964(昭和39)年以来43年ぶりのブルブルぶりである。
この太平洋側の冷気は山を越えると暖気となって風下へ吹き降ろす。いわゆるフェーン現象である。晴れるので気温の上昇はさらに加わり暑くなる。上川地方の名寄市は今日も30.7度の真夏日で、7月中旬の真夏日はとうとう4日に達し、1978(昭和53)年以来29年ぶりのアチアチぶりとなった。
どっちがお好き?といわれても、やはりほどほどがいいですな。今日の札幌は22.1度。風が強いのを除けば過ごしやすい一日であった。
高気圧が運ぶ冷たく湿った南風を受け止める太平洋側はひどい寒さが続く。帯広は今日も15度に達しなかった。これで7月中旬の15度未満は3回目で、1964(昭和39)年以来43年ぶりのブルブルぶりである。
この太平洋側の冷気は山を越えると暖気となって風下へ吹き降ろす。いわゆるフェーン現象である。晴れるので気温の上昇はさらに加わり暑くなる。上川地方の名寄市は今日も30.7度の真夏日で、7月中旬の真夏日はとうとう4日に達し、1978(昭和53)年以来29年ぶりのアチアチぶりとなった。
どっちがお好き?といわれても、やはりほどほどがいいですな。今日の札幌は22.1度。風が強いのを除けば過ごしやすい一日であった。