天気の仕事をしていると、まとまった休みが取れない。三連休というやつは2ヶ月に1回くらい、しかも休み明けが早番(朝4時から勤務)で、最後の休日の夜が早く、休んだ気がしないことも多い。4連休以上は「夢」とされている。
お天気キャスターとしての見聞を広めるのは、やっぱり旅だ。いろいろなところへ出かけて、現地の気候を実体験する。街の雰囲気や景色、名産品を含めて、得られることはとても多い。しかしこの旅も、この状況ではなかなか出られない。
これが現実を逃避する海外旅行となると、もう仕事を辞めないとムリだ。ホントにそう思う。
そこで、最近始めたのが仮想現実世界旅行だ。
JTBの旅物語から適当なコースを選び、順路にあわせてGoogle Earthでポイントを探し、そのポイントを見ながら、解説や体験記を読む。というものだが、少し手間はかかるものの、これがなかなか楽しい。
9月下旬からはニュージーランド12日間に挑んでいるが、ダニーデンの世界で一番急な坂道や、タイエリ渓谷鉄道など、空気は気候は実感できないが、景色や雰囲気は高解像度の画像でそこそこ体験できて面白い。
しばらく、こういった家内性世界旅行が続きそうだ・・・。
2006年10月02日
2007年02月07日
北方領土の日
2月7日は北方領土の日。昔はよく、知床峠までドライブしていき、国後島を眺めたものである。羅臼の先に相泊というところがあるが、ここからも国後島の全体像がよく見える。といっても北側だけだが。
日本の降伏があと10日早ければ、南樺太も千島列島も日本領土で残ったかもしれない。硫黄島を失い、沖縄を失い、都市という都市を焦土化させ、多数の同胞を殺した。徹底抗戦を叫び、天皇の聖断まで惑わした。そこまでして当時の軍部は何を護ろうとしたのか?結局無条件降伏に追い込まれ、戦後60年以上経過してもその始末は終わっていない。阿南陸相は一死をもって大罪を謝し奉ると書いたが、そのような生易しいものではない。正直、軍部指導者は靖国にまつられる資格はないと思うわけだ。
そして2007年。未だに北方四島はロシアの実効支配下にある。本来は日露間の国境は1875年の千島樺太交換条約に立ち返るのが基本であろうが、1858年の日露修好通商条約の際の国境で交渉しているのは譲歩と呼んでいいものだろうか。
7日21時、留夜別村古釜布の天気は晴れで雲量は4、西の風は1メートルと穏やかな天気で気温は−9.4度となっている。
日本の降伏があと10日早ければ、南樺太も千島列島も日本領土で残ったかもしれない。硫黄島を失い、沖縄を失い、都市という都市を焦土化させ、多数の同胞を殺した。徹底抗戦を叫び、天皇の聖断まで惑わした。そこまでして当時の軍部は何を護ろうとしたのか?結局無条件降伏に追い込まれ、戦後60年以上経過してもその始末は終わっていない。阿南陸相は一死をもって大罪を謝し奉ると書いたが、そのような生易しいものではない。正直、軍部指導者は靖国にまつられる資格はないと思うわけだ。
そして2007年。未だに北方四島はロシアの実効支配下にある。本来は日露間の国境は1875年の千島樺太交換条約に立ち返るのが基本であろうが、1858年の日露修好通商条約の際の国境で交渉しているのは譲歩と呼んでいいものだろうか。
7日21時、留夜別村古釜布の天気は晴れで雲量は4、西の風は1メートルと穏やかな天気で気温は−9.4度となっている。