既に稚内以外の地で暮らす人生のほうが長くなってしまったが、稚内が一番長く暮らした土地であること、生を受けて最も多感な少年時代を過ごしたこともあり、自分にとって故郷といえば「稚内」を指す。
この20年間で稚内は大きく姿を変えてしまい、稚内を離れたころの風景はそのほとんどが失われた。今になって最も心に残る風景は何だっただろうか?と考えると、いろいろ思い浮かぶわけであるが、その一つとして昭和50年代まで南稚内駅の側にあった稚内機関区の扇型車庫と転車台がある。
昭和50年から52年頃にかけて、国鉄南稚内駅の裏に住んでいたが、窓から見える様々な列車が非常に面白かった。よちよち歩きで南稚内駅の線路にまで入り込んで母親に迷惑をかけたこともある。この南稚内駅から稚内駅方向に少し行った所に、その扇形の車庫はあった。
扇形の中心部には転車台というのがあり、昔はその上に機関車をのせて回転させ、車庫に汽車を納めていた。わたしが住んだ頃はちょうど蒸気機関車が廃止された直後だったが、確かDD51という赤いディーゼル機関車が転車台の上に乗って回転していた記憶がある。(何分小さかったので記憶に違いがあったらすみません)
この転車台で機関車(列車?)をまわして扇型の車庫に格納するというシステムが幼いわたしの心を捉え、今でも懐かしい風景として心に焼きついている。
その割には、その後の人生で鉄道に大きな興味が生じなかったのは何故だろう?
▼1977年頃の南稚内駅周辺の様子