維新から45年続き、日本が近代国家へと急激に突き進んだ明治の終焉、そして大正の始まりを北海道、そして新植民地:南樺太の日本人はどのように見たのか。
今年は1912年の新聞記事から、当時の北海道、樺太の様子を書き起こしていこうと思う。
なるべく休みをしっかりとって、記述の時間を設けること。これが自分に課す今年の目標である。(自身なし!)
今回は「樺太日記」と題して、樺太日日新聞の明治45年(1912年)1月5日付紙面から、明治最後の新年の様子を、真岡の記事に焦点を当てて拾っていく。
真岡町の概要はこちら
→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E7%94%BA
正月の真岡
▼元旦
元日は西風にて時に降雪を見たれど、概して好天気にて、官民名詞交換会は真岡小学校運動場にて開催。三百四十名の出席あり盛会なりしが。
市中はさしたる事無けれど、旗亭「曙(あけぼの)」の芸妓連、全部盛装を凝らして市内各華筋を年賀の為め廻礼したるは目立ちたり、花柳界は総じて寂寥(せきりょう)の観あり。
▼二日
朝来、西北風の大風雪にて寒威また酷烈。氷点下20.4℃まで降下したれども、初売市況は案外の盛況を呈し、夜は初売済み商店連の花柳界に入り浸るもの多く、為に箱切れならぬ枕切れの大繁盛を極め。
▼三日
は、大風雪のため、廻礼も少なく正月らしからぬ静けさなりき。
▼四日
は西南風に変じ、非常の暖気にて加えて天気すこぶるよし。
真岡消防組の盛んなる出初式あり。同夜、九萬楼にて八十名の大宴会あるべく、五日にもまた同楼に於いて、官民八、九十名の新年祝賀会催されるべし。
●警察事故
この四日間の警察事故を聞くに、元来真岡は大晦日にはほとんど必ず火事騒ぎあるを以って例とし来たりたるに。本年は警務係において極力警戒したるためか火事騒ぎ無きのみか、火の粉さえも飛ばざりしは何よりもめでたきこと。
なるべく窃盗二件と賭博二件と行政検束二件ありしのみ。
初売りは例年に比し売上高に於いて不足なるに拘わらず、現金売りはかえって高く、しかも花柳界は例年より寂しく、街頭一人の泥酔者も見ざりし等より推し、現下の真岡の景気は必ずしも不況にあらずといえども、住民等、逐年真面目になる結果ならんか。
1912年1月はじめの北海道・樺太方面はかなりメリハリの利いた天気変化だったようで、元日は北海道各地では「ここ二十年で初めて」というほどの穏やかな空だったらしい。樺太西海岸の真岡も好天気ということであったが、二日から三日にかけては猛吹雪。どうも北海道付近を低気圧が急発達しながら通過していったらしい。札幌でも市内各所で家の軒に達するような大きなふきだまりが生じて、正月飾りも風にもぎ取られて雪中に埋没・・・ということになっていたようだ。
四日になってやっと天気は落ち着くが、風向きが変わって暖気が入っている通り、これは後日の大嵐の前触れでもあった。
さて「初売」は昨今は元日から営業している店も多くなっているが、明治のこの時代では一月二日。店にはじめての売り場の荷物が届けられる「初荷」。馬橇の鈴の音が町中に響き渡り、これも正月のひとつの風景であった。
真岡初売景気
二日は前夜来の暴風雪にて、平日ならば戸の口一寸の外出も不可能なるべきほどなりしにかかわらず、各商店は初売りのため、いずれも午前二時頃より開店し、馬車数十台の風雪を犯して練り回る光景、凄まじきほどの盛況なりし。
景品はいずれも抽選をもってせしか、僅少の買物にて沢山の景品を得たる。
初売早々の福徳者多く、四菱酒造店にて酒一斗を買ひて白米一俵を、三井金物店にては釘四銭償にて、対価二円のスコップ一丁を、藤森呉服店にては十三銭の下帯にて八円の糸織り一反を引き当てたるものあり。
概して本年の初売りは去年に比し金額において三割方の不足なり。白米の売れ行き不足は大シケのため、漁村の買い出し無かりしためなるべしと
福引は真岡では店ごとのようであるが、豊原は商店連合でくじを作ったようで中身は豪華であった。
同じ紙面によれば、豊原での一等の商品は・・・
「桐のタンス、醤油1樽、糸八縞一反、富久娘半紙ひとまとめ、メリヤスシャツ1箱、米磨大1個、麻の床置1個」
という内容である。どうも、豊原市街にあった大吉武蔵商店の娘がひきあてたようで、1円ちょっとの買物で、30円以上の景品。なかなか豪華であった。
こういった楽しみもあるから、けっこうな吹雪でも初売りに出かける。賑わいは必然かもしれない。
最後に、真岡のオモシロ記事を一つ紹介しておく。
晴雨計の梟(ふくろう)
真岡の海産商・中谷商店は一羽の梟を飼っている。
もとより昼間は日光の反射と眼光は利かず、夜はまたランプの明かりで薄ボンヤリより見えぬかして、別に飛ぼうともしないから、いつも店棚の上に放し飼いである。
餌料は無論、牛の切り出しだ。
ソコでまん丸な南部煎餅そのままの顔見えもせぬ目をキョロつかせ居る様、人をチャームしたようで何ともいへぬ珍妙だが、この梟先生、時に寄ると、夜間クルックルッと不器用な声で鳴き騒ぐことある。
最初は何故鳴くのか、また何故鳴かぬかという事に、常に気にも留めなんだが、あるとき大吹雪の夜激しく鳴くと、その翌日はガラリ変わった好天となったので、さては晴天の予報に鳴くのだなと注意すると、爾来、何十辺かつて間違ったことがない。
今は晴雨計より天気予報より確かなものと評判され、梟先生が夜間鳴けば、そのたび同店より近隣知己へ只今ふくろうが鳴きましたからと知らせる。
スルといかなる大シケの夜でも明日は天気としてその準備をするが例になっているが、それがまた一度も外れたことがないから面白い。
当時は「測候所」と三回唱えれば、何を食べても「当たらない」といわれていた時代ではあるが。
ふくろうに気圧の変化を嗅ぎ取る能力なぞあるのであろうか。百発百中とは気になる存在。
是非、若輩予報士であるワタクシなぞは、梟先生にその野生のカンをご教授賜りたいものである。