今回からは樺太と北海道をクロスさせながら、残り三ヶ月ほどとなった「明治」の様子を掘り起こしていきたい。
ということで明治末の北海道として扱うのは今回としては初めてとなる。
明治45年4月、樺太同様北海道は遅き春を迎えていた。
1912年(明治45年)4月7日 北海タイムス
積雪融解期
道庁測候係・豊蔵技師の話に依れば、昨冬は余り降雪量多からざりしに
一月に入り積雪多量となり殊に二回の大吹雪のため各地とも融雪期を遅れしめ、札幌区の如きも今尚(いまなお)消雪を見るに至らざるが、今、各地方に於ける根雪の融解期の最遅と平年期日を示せば左の如し
札幌 最遅四月二十日 平年四月四日
(中略)
而して札幌区の最も遅きは(明治)二十五年の四月十六日、二十八年の四月二十日、三十一年の四月十五日等にして、本年の積雪量を計るに恰も(あたかも)三十一年に類似せるを以て、本年の融雪は十四、五日頃とみて大差なかろう。
この頃の「平年」の概念が今と同じかどうかは定かではないが、現在の札幌の根雪終日の平年は4月3日だから、100年前とほとんど変わらないことがわかる。
今年もそうだったが、何回かドカ雪があったり、寒い春は雪解けが遅い。この年の北海道もそうであったろう。
樺太ではギリヤーク族の生活の様子が記事にとりあげられていたが、北海道に関しても先住民アイヌの暮らしが記事になっている。
雪解けの季節に動き出す生き物をアイヌは追っていた。
1912年(明治45年)4月7日 北海タイムス
髭武者の遠征隊
小半年に亘る酷烈の寒気と降り積む大雪とに、草家住居を封じ込められありしに
旭川町は近文のアイヌ部落旧土人等、昨今の東風日和に山々の雪とけかけ、奥山の冬籠熊(ふゆごもりグマ)が漸く穴の口に子連れて出る頃なりとて、此程来(このほどらい)毎日の様に同部落の髭武者アイヌ等五人、十人と子供などを連れて鉄砲を肩に旭川駅から乗車し、猟犬二、三頭ずつ小手荷物として悠々遠征して行くを見受けたり。
狩場は狩人にても確実に知るを得ざれど、下車駅は切符に徴し、愛別、蘭留、比布等なれば、そこへらの奥地が狩場なるべし
100年前も熊の生態は全く同様である。
冬眠から目覚めた熊を狩猟する、というのがアイヌ人の春の動きだったことが記事からは端的だがはっきりと見える。アイヌ民族にとって熊は神であり、生活に密接かつ欠かせない生き物である。
子供を連れて行くというところに、文字を持たぬアイヌ人が実体験を通して習わしを伝えていく文化も垣間見える。
春になると、浮かれ気分の人も出てくるが、彼の場合はどうだったか。
1912年(明治45年)4月8日 北海タイムス
女学生を狙った青色魔ついに捕わる
(札幌)区内南七条西七丁目五番地・石黒経(一九)は当時同上電気株式会社の見習生なるが、性来の放蕩者にて学校時代とて其の成績甚だ宜しからず。
現に電気株式会社の見習生となりても、区立女子商業学校生徒なる竹内お何といふに左の如き艶書を送りて跳ねつけられたり。
江畔の細柳縁に咽び、晴樹遥かに青障に浮んで日長く、風暖かき鳥鳴き人を娯ます時節とはなりぬ。
突然手紙差上、御驚きの事とお察し致します。
お身も私を二、三年以前よりご承知の事ならん。
何卒何卒今後お手紙を下さいね。
私は只々、お身の心ある返事を待っております。
お返事は明日此の新川端で下さい。
時間は今朝頃、委細はお返事下され次第申し上げます。
石黒より
尚、石黒は是と類似の艶書を百本も二百本も書き、女学生と見れば必ずそれを狙い、各劇場は勿論、寄席見世物小屋ないし勧工場へ出入りして、女学生の袂へ艶書を投ずるを例とせしが、次に投げ込みたるは
昨日は失敗致しました。
実はね、今度私が上京するに就いて、是非お願い致したい事がございますから
明晩八時頃私は、お身の家の前を口笛吹いて通りますから五分か十分程経ってからお出でください
もし都合悪しければ角の丸亀湯屋の前に八時頃立って居て下さい。
何卒何卒お願い致します
石黒
親愛なる萩原嬢
斯くの如くにて盛んに風俗を乱したる中、金が尽き、愈々(いよいよ)窮して去月五、六日頃、区内西創成学校生なる南三条西三丁目五番地・佐藤東洋太郎が当時四年生より五年生に進級するを機とし、石黒は巧みに東洋太郎を貶し、今期の試験には君は落第なるも僕が河東田教授に話し、及第するよう運動してやるとて、同人が兼ねて水力会社へ五円六十銭ある貯金通帳を巻き上げ、去月二十八日、南二条西三丁目札幌商館より佐藤と彫刻したる木印一個を金十銭で購入し、直ちに改印届をなし、本月二日右貯金より同会社会計係・林力蔵の手を経て金五円を騙取したること本署の熊本刑事が探知し、六日取り押さえの上、検事送り。
結局、前段のラブレターを配って回った話と、子供の貯金を騙し取ったという話はまったく別なのであるが、こういう載せ方をしてしまう当時の新聞である。
今は、最初に悪いことをして捕まったという記事が出て、後追いで捕まった人の素性が暴かれていく記事が出る・・・という過程をとるが、当時は一気に報道してしまう。さすがプライバシー未発達の時代である。
最後は当時の教育の状況がよくわかる習字を見ていただこう。
児童の書方
是は女学生の書き方です。
去年の今頃初めて学校へ上がった児は此のくらい書けます。
是は札幌女子尋常小学校尋常一学年の高橋ハルさんが書きました。
夫れから二年経つと次の位に書けるやうになります。
是は同校尋常二学年の小林チイさんが書きました。
夫れから三年目には此のくらい書けます。
是は同校尋常三年生・斉藤昭子さんの書方です。
四年目には次の位書けるやうになります。
是は同校四年生関場包子(かねこ)さんの書き方です。
尋常一年〜四年は、そのまま今の小学校1年生から4年生。
クラスで一番の子の習字と思うが、本当に上手ですねぇ。
先生もビシビシ教えていたのだろうな