ひときわ長く続いた今回の雪の季節も、いよいよ明日で終了となりそう。
それにしてもやはり自然の力は凄い。あれだけ邪魔だった雪の塊が、たった10日ほどで跡形もなく消えるのである。ちょっとしたイリュージョンである。冷気でいろんなものがたちまち凍るのも魔法のようだが、「春の女神」は雪を消す魔法を持っているだろう。
さて、明治の末。魔法のように?監獄から脱走を遂げた7人の囚人。
しかし魔法使いとは程遠く、まともな道具も持たない彼等は大勢の看守により追い込まれ、既に2人が斬り殺された。
脱走4日目。札幌は祭りの準備がたけなわの6月13日。
早朝に一人の脱獄囚は厚田村発足の民家に侵入、角巻とモンペを強奪する。
その後、江別署員や地元の青年に包囲されるも突破、逃走に成功。
6月16日には、月形では村民236名が集まり、4隊に分かれて大規模な山狩りを行った。
しかし
「鍋中に粟と米を混合したるを半分位入れありしを発見」(18日北海タイムス)
というくらいしか収穫はなく、がっくり肩を落として解散。
厚田・月形・当別の三町では長引く警戒に疲労の色も隠せない状態となってきた。
そんな中、包囲網を突破した囚徒のうち一人が石狩川を渡った隣町・美唄で見つかった。
1912年(明治45年)6月20日 北海タイムス
●七囚徒破獄続報
▼中野甚之助 美唄で逮捕さる
樺戸監獄破獄囚五名のうち 強盗有期徒刑十三年囚 中野甚之助(三三)は 追跡せる岩見沢警察署の手にて今朝 沼貝村字美唄に於て 濱田部長 今渡巡査両氏のため 終に逮捕され 直ちに岩見沢本署に押送されたり
▼大熊署長の談
破獄囚 中野甚之助は美唄で逮捕、二十日札幌地方検事局に押送さるるに就て 札幌警察署長・大熊氏の談に
「中野もとうとう捕まったよ、此奴(こやつ)は茨城県生れで 前科三犯あり 中にも(明治)三十九年中 神奈川県横須賀町で短銃強盗を働き 横浜地方裁判所で処刑され 同年東京小菅監獄へ、四十一年十一月樺戸監獄に収監されたので、身長五尺四寸七分(約166cm)といふ 横田米吉につぐ大男だったさうだ
樺戸を破獄したのは本月九日で 岩田、横田の二囚徒は斬られたが渡辺、太田、御代澤、三田と中野の五囚徒は一向痕跡は判らなかった
其の後 警察部 勝田警部よりの報告に依れば 中野は多分 渡辺又は御代澤と同道し 警官に追跡され 空知鉄橋で追窮され空知川に身を投じ 行方不明となった
といへば滝川町へ現はれた二囚徒は多分 此の両人だったらうが 中野甚之助は天運尽きて 破獄より十一日目で終々(とうとう)逮捕された次第で 多分明日(二十日)札幌へ向け 押送されるであらう云々
文中に「滝川へ現れた」とある。月形を逃げ出した5囚徒のうち2名は新十津川から鉄橋を渡り滝川へ逃れ、滝川で強盗。さらに南下して美唄で1名逮捕となった。
6月18日午後6時。
滝川の石狩川鉄橋で「獄衣」2枚が発見される。
これにより非常召集された警察官が、19日午前4時20分頃、美唄駅から約2キロ北の線路を急ぎ足で南へ向う一人の人影をみつけた。
2人の警察官が180mほど近くまで接近したところ、怪しい人物は線路東側の笹薮に身を隠す。
警察官はひるまず藪の中を捜索したところ、こうもり傘を持ち、茶褐色のチェックの古インバネスコートを着て、腰に丸い弁当のようなものを結びつけた一人の男を発見。
男はたまらず鉄道線路上に飛び出し、美唄方面に逃走したが、二人の警察官は直ちに追跡。
一人の警察官が、短銃を空に向けて発砲。約100メートルほど追跡したところで、男は観念した。
彼は向き返りて 警官待った 私は樺戸監獄逃走囚 中野甚之助なり と申立て 地に伏して神妙に縛に就きたる
中野は逃走後の10日ほど、十分な食事がとれていなかったため、疲れ果てていた。
そして警官は足が腫れているのを見つける。
どうやら、中野は樺戸の山中でアブに襲われ、相当刺されたらしい。
足だけではなく、顔面、首、膝などあちこちが赤く腫れていた。
これで3人目の運命が決まったこととなる。
中野の話ではもうひとりの運命も、既に決まっていたようだ。
中野と一緒に逃げていた主犯・渡辺千代松である。
6月17日石狩川鉄橋を渡ろうとした二人は、鉄橋付近の警戒が強いことを知る。
このため、鉄橋の下流側を泳いで渡ることにした。
衣服を頭に載せ、泳ぎ始めたが、先行していた中野は「助けてくれ」という声を聞く。
しかし中野は後ろを水に泳ぎ切った。
後ろを見ると渡辺の姿はなかった。
渡辺が見つかったのは7月2日である。
浦臼町黄臼内の石狩川岸に男の溺死体が漂着しているのが見つかる。
腐乱しており、何者かほとんど判別できない状態だったが樺戸監獄にあった指紋を照合して渡辺であることを断定するに至った。
渡辺は千葉県志津村出身で前科7犯の悪党。実弟を謀殺した罪で明治34年6月5日、千葉地方裁判所で無期徒刑となり、以来11年にわたり樺戸監獄に収容されていた。
3人が死に、1人が逮捕された。
最初7人いた囚人も、残りは3人である。
中野が逃走生活について詳細に語り出した頃、一人の囚人の運命がまた定まることとなる。
その話は次回。